街の印刷屋 天啓 presents...

街の印刷屋よもやま話
TOP <街の印刷屋(株)天啓(トップページ)> <街の印刷屋 よもやま話>

街の印刷屋 よもやま話 過去の記事一覧(古い順)


2017年12月26日 用語とその意味
2017年12月26日 歳時記かわらばん 仲冬
2018年1月6日 休暇あけ
2018年2月27日 ちょっといい漢字⁉ 『金』
2018年4月16日 歳時記かわらばん 仲春
2018年5月2日 浜の母ちゃんと、街の印刷屋
2018年5月5日 美味しい歳時記 晩春
2018年4月16日 美味しい歳時記 初夏
2018年5月18日 鬼のパンツと、街の印刷屋
2018年5月23日 美味しい歳時記 仲夏
2018年6月11日 赤い鳥と、街の印刷屋
2018年6月18日 ちょっといい漢字⁉ 『雨』
2018年7月2日 Eスポと、街の印刷屋
2018年7月12日 カマキリと、街の印刷屋
2018年7月16日 美味しい歳時記 盛夏
2018年7月31日 美味しい歳時記 盛夏
2018年8月3日 ケチャップと、街の印刷屋
2018年8月8日 美味しい歳時記 立秋
2018年8月22日 いや、でも、街の印刷屋
2018年9月9日 ちょっといい漢字⁉ 『虫』
2018年9月11日 マヨネーズと、街の印刷屋
2018年9月27日 美味しい歳時記 仲秋 
2018年10月2日 金継ぎと、街の印刷屋 
2018年11月11日 ちょっといい漢字⁉ 『秋』  
2018年12月20日 ATF と 街の印刷屋  
2019年3月6日 「渡り」と 街の印刷屋  
2019年4月24日 季節のうた① 春 百人一首より
2019年4月26日 「あたま山」と 街の印刷屋
2019年5月20日 酸模(スカンポ)と 街の印刷屋
2019年5月31日 季節のうた② 初夏 百人一首より
2019年6月13日 季節のうた③ 初夏 百人一首より
2019年7月2日 半夏生と 街の印刷屋
2019年8月15日 叩いて治ったテレビと、街の印刷屋
2019年8月19日 季節のうた④ 初秋   百人一首より
2019年11月21日 ジッポーと 街の印刷屋
2019年12月2日 季節のうた⑤ 晩秋   百人一首より
2020年2月6日 ブラックボックスと、街の印刷屋
2020年2月6日 季節のうた⑥ 早春   百人一首より
2020年3月31日 残念な名前と 街の印刷屋
2020年4月9日 季節のうた⑦ 陽春   百人一首より
2020年8月26日 残暑見舞い申し上げます
2020年8月31日 古代の文字よ、街の印刷屋
2020年11月4日 天理のイチョウ並木
2021年5月26日 花菖蒲が見頃です
2021年8月5日 近場で避暑気分 桃尾の滝
2021年8月5日 近場で避暑気分 桃尾の滝
2021年9月15日 ビンロージ色と、街の印刷屋 

[最新記事] ビンロージ色と、街の印刷屋 2021年9月15日


 河内音頭のベテラン音頭取り、鳴門家寿美若さんの唄う「舟唄やんれ」(作詞:もず唱平 作曲:三山敏)という曲をご存知でしょうか。河内の国・八尾に伝わる郷土民謡「ヤンレー節」をモチーフに歌謡曲化したものです。 「ヤンレー節」は河内音頭の古い形の一つですが、河内音頭には珍しく音階がマイナー(西洋音楽風に言えば、ですが)となっています。その歌詞の中に
 〽棉の花咲く 河内の里へ 帰りたや・・・
という一節があります。この歌詞にもあるように、江戸時代から明治時代のはじめにかけて、河内地方は綿の栽培が盛んで、栽培された綿から糸を紡いで手織りされた木綿は「河内木綿」として評判であったと言われています。
 で、そのお隣、ここ大和の国ですが、実は戦国末期にはすでに棉の栽培が行われており、次第に商品化していくとともに、大和高田付近で生産される白絣は染とデザインの良さで「大和絣」として幕末から昭和初めにかけて広く流通し、 一時はお伊勢参りの土産物としても喜ばれたそうです。
 大和で綿の栽培が盛んになった原因は渇水問題であったと言います。貴重な水を大切に使うために大量の水を必要とする稲作の代わりに綿を栽培したり、両者を交互に作ったりしたのだそうです。  綿の栽培は盆地の中心部だけでなく、布留川の扇状地、今の天理市周辺でも盛んであったようです。実際「綿の実から糸に繰り、紺屋に持って行って染めてから織り物にしたのだが、 「玉に分銅」や「猫に小判」といった手の込んだデザインものも手掛けていた」とか、「所用で出かけた大豆越(まめごし)村(現・桜井市大豆越)で、あたりの川に染物に適した泥砂があるのに気が付き、 取り寄せて、布に塗っては屋敷内の井戸水で洗って乾かし、という工程を数回繰り返し、きれいな「ビンロージ色」に染めあげた。井戸水は金気水であった。」 という話が伝わっている家があります。ビンロージと言われてもピンときませんが、ビンロージ染とは、ヤシ科の植物ビンロウ(檳榔)の種子を使った草木染めで、その青みを含んだ気品のある黒色を 檳榔子黒(びんろうじぐろ)と言い、当時は最高級の黒染の色とされていたそうです。川の泥砂と金気井戸の水から、高価なビンロージ色と同じような 綺麗な色に染めあげたというのも、興味深い話ですね。
 話がそれました。やがて時代が下り、外国産の安価でしかも機械紡績に適した綿花が輸入されるようになると、安い化学染料を使用することで価格競争に対抗しようとする向きもあったりしたのですが、それがかえって品質低下 をもたらし、いつしか「大和絣」も市場から姿を消していったとは、時の流れと言えばそれまでですが、なんとも残念なことです。

 〽棉の花咲く 河内の里へ 帰りたや
    落とす 涙を 春風が 盗んで 暮れる ・・・・

 一つの技術が人々の価値観や文化を変え、また人々の価値観や文化が技術やそれを取り巻く人々を変えていく。こういう連鎖のなかで、より良い発展を目指すのは容易いことではありません。しかしそれでも、変わりゆく価値観のなかで 人々の新しいニーズを創造したりそれに応えたりする努力や工夫は重要なんでしょうね、偉そうに言えば。
 
 ところでこのビンロージ黒、一応CMYK表示では C00,M46,Y36,K36、 RGB表記では R162,G087,B104、  などとされていますが、これも絶対こうだというわけではないので、「きれいなビンロージ黒色」に印刷してちょーだい、などと言われると また、オペレータ大先生の力技に期待することになるのでしょうね。

近場で避暑気分 桃尾の滝(天理市滝本町) 2021年8月5日


 7月の第3日曜日に滝開きが行われた桃尾(もものお)の滝。 天理の市街地から国道25号を東へ、夏は水色ののぼりも立っている滝への道を北へ曲がって鬱蒼とした木々の中をしばらく進みます。 「布留の滝」と『古今和歌集』に詠われ、元禄元(1688)年には松尾芭蕉もこの地を訪れています。



 滝左の岩に彫られた不動三尊磨崖仏をはじめ、いくつもの石仏があって、修験道の滝行場にもなっています。 心ゆくまでマイナスイオンを浴びて、心身共にリフレッシュにおすすめです。

花菖蒲が見頃です   2021年5月26日


 梅雨入りして青空の見えない日が続きますが、そんな季節こそ晴れ間のお散歩は楽しいものです。 天理よろづ相談所病院(憩の家)の入院棟(新しい外来棟ではなく、以前からある病棟)の東側に天理教教会本部の庭園があって、自由に散策できます。 
防火用水を兼ねてこしらえられた池のまわりで、黄色の花菖蒲が見頃を迎えています。







ツツジはそろそろ終わりのようですが、これからは黄色だけでなく白や紫の花菖蒲も咲き、紫陽花やひまわり、ふらりと立ち寄ってもいつも季節の花々が出迎えてくれます。夏には水の流れが心地よい水辺もお勧めです。

[最新記事] 天理のイチョウ並木   2020年11月4日


 天理のイチョウ並木がずいぶん色づいて来ました。
  日本で唯一、宗教団体名を冠した天理市。天理教教会本部から天理市役所北側の親里大路、龍王山を源とする布留川に沿って、イチョウ並木が続きます。


  イチョウ並木の向こうにたたずむ 天理図書館は、『日本書紀』神代巻など国宝6点、重要文化財86点を含む、蔵書数約150万冊の やまとのふみくら。
  天理大学の付属施設ですが一般に開放されていて、春と秋には企画展も開催されています。

 

古代の文字よ、街の印刷屋   2020年8月31日


 カラオケにも行きづらいこの世界状況ではありますが・・・・昭和の名曲、鶴岡雅義と東京ロマンチカの「小樽のひとよ」に
  〽二人で歩いた塩谷の浜辺/偲べば懐かし古代の文字よ
という下りがあります。以前からずっと心に引っかかっていたのです。なんで古代の文字なんだ?(何を偲べばどう懐かしいんだ?、ということに関しては、曖昧な表現により想像力を掻き立てて歌の奥行きを広げるという作詩技法だとしても、です。)
 よくご存知の方もおられると思いますが、これは北海道小樽市手宮にあり、1866(慶応 2)年,石工の長兵衛という人が偶然発見したと伝えられる手宮洞窟という海蝕洞窟の壁面に残された、陰刻による彫刻のことを 言っているそうです。発見以来,多くの学者がこの地を訪れ壁面の彫刻を模写しいろいろな学説を発表しているようです。曰く、文字だ、いや文字ではなく図形だ、自分は文字として解読できた、いや、あれは彫刻偽作だ・・・ 挙句は、自分で実際見てもいない彫刻の模写図にケチをつけたもの・・・外国人、日本人入れ乱れ、数多くの学者が研究を重ねていますが、今だ結論は出ていないようです。 1980 年に隣町,余市町で同種の彫刻を壁面にもつフゴッペ洞窟が発見されてからは,その学術的価値が再確認され,その類似性からみて続縄文文化期の遺跡ということはほぼ確定しているそうです。 そんなに昔のものなら、たやすく結論は出ないでしょうね。まあ、お話として面白いものは沢山ありますけれども・・・。
 さて、それと比べると最近(と言っていいのかどうか)になりますか、日本人が創った平仮名の成立については、どうでしょうか。平仮名というと,女性の文字のイメージがありますが、 これは平仮名が文字として成熟してからのち,女性,特に宮中に仕える女房と呼ばれた人たちによって,日記や随筆や物語といった平仮名で書かれた文学が花開いたためで、平仮名そのものの誕生とは別の話ということです。
 国立国語研究所 矢田勉さん(東京大学大学院 総合文化研究科 准教授)(外部サイト)によると、平仮名をはじめに作ったのは,個人ではなく, 平安時代9世紀中頃の都にいた,おそらくは男性たちであったと思われ、それも,漢字が書けないような人々ではなく,少なくともそれなりに漢字を使いこなせる人たちの間から,公式でない用途のために発生してきたのだと考えて良いそうです。 さらに矢田さんによると、平仮名の誕生以前,万葉仮名の時代にも,誕生したての頃の平仮名と同じような用途の資料,たとえば私的な手紙(正倉院文書の中の万葉仮名文書)や土器の落書き(飛鳥京跡苑池遺構出土の刻書土器)があって、 そうしたものがやがて平仮名に変わっていったのだと思われるそうで、これには紙以上に木簡が書字の料として多く使われていた時代から,木よりもなめらかな運筆に適する紙がより普通になった時代へと移行したことが関係しているかもしれないということです。
 面白いですね。文字を書く媒体の変化が文字の変化を促していく、という側面があるのですね。媒体と言えば、街の印刷屋が扱う媒体である紙ですが、これには最も一般的な「上質紙」から、アート紙、コート紙、色上質紙、 複写用紙、包装紙、等々、用途に応じて選ぷことが可能であり、また用紙自体の技術革新もあるわけで、それが印刷の情報量などに変化をもたらすことはあるでしょう。しかしながら,情報媒体,広告媒体としての価値が,インターネット、 電子端末へと確実にシフトする流れも避けられない事実であり、そうなると、誕生したての平仮名が矢田さん曰くの「消費される文字」だったように、今は日本語そのものが、垂れ流しの消費される言の葉になっていくのだろうか、と・・・ そう言えば、このコーナーもその消費される情報のお仲間であるのかな、少々心が痛みます。はい。
 話をもどして、もし仮に、です、続縄文時代の「なんとか人」が、「雪原を渡り海を渡ってオレはここに来たのだぞ!」と意気込んであの古代の文字を壁に刻みこんだとすると、 その後の歳月の流れはなんと残酷なものでしょうか。彼(彼等)の勇気と努力の跡も、何千年後には、高々学者達の議論のネタになるくらい(失礼)、悪くすれば誰にも知られず海に埋もれてしまっていたかもしれないわけですから。 とは言え、それでも頑張るのが人間ならば、当、街の印刷屋も紙媒体の良さを最大限に追及する努力を惜しんではいかんのでしょうね。
 蛇足ながら、デジタル媒体への移行というご時世の流れにチョイ乗りしているようなこのコーナーですので、時の流れと共にその情報が霧散することは覚悟の上ですが、時の流れを見つめ、時にはそれに 逆らうような努力を、たとえ結果として無駄になろうとも、そういう取り組みを今日することが、明日への扉となるのではないでしょうか、偉そうに言えば。
 我々の言語が我々そのものであるのなら、「古代の文字よ」なんて歌われたくないですよね。
 

残暑見舞い申し上げます    2020年8月26日


 
 残暑お見舞い申し上げます。少しでも涼しい気分になれたら…と以前にお出かけした滝を紹介します。

吉野郡川上村 あきつの小野公園からすぐの 蜻蛉(せいれい)の滝
落差約50mの段瀑

 『古事記』によると、狩りを楽しんでいた第21代雄略天皇がアブに刺されたのを、蜻蛉(トンボ)が追い払った…喜んだ天皇は、この地を蜻蛉野(あきつの)と名付けた…ことに由来するそうです。
 公園の遊歩道を進むと、虹のかかる滝が真横に見えて来ます。さらに登って上から見下ろしたり、螺旋階段を降りて、滝壺にかかる橋から見上げることもできます。松尾芭蕉や本居宣長ら、文人墨客が訪れた滝です。

動画1分40秒(音声あり。再生注意)
 

季節のうた⑦ 陽春   百人一首より    2020年4月9日


  ひさかたの 光のどけき 春の日に
       しづ心なく 花の散るらむ    紀 友則
   こんなにも光がのどかな春の日に、どうして桜の花は落ち着いた心もなく、はかなげに散り急ぐのでしょうか。

   この和歌の中の「花」は、もちろん桜です。 ところが「令和」の典拠となった『万葉集』に最も多く読まれている植物は「萩」、次が「梅」で、「桜」は十番人気、意外に少ないのです。花イコール桜、となったのは『古今和歌集』、平安時代以降だと言われています。  春の訪れとともに咲く桜がこんなにも愛されるのは、可憐で趣深い美しさだけではなく、はかなく散りゆく姿に無常を感じる美意識が日本人にあるからでしょうか。

   はかないがゆえに感じる美しさ、散っていく桜花と、やわらかな春の陽ざしとの対比に、移ろいゆく春が想われます。
 

残念な名前と 街の印刷屋     2020年3月31日


  生物の名前には、ラテン語表記の「学名」と「標準和名」というものがあります。地方地方で呼びならわされている慣用名を参考にしつつ、学名と一対一となるように研究者の学会などで調整して 決定された和名を、標準和名と呼ぶのだそうです。
  そういうわけで植物であれば、植物学者が決めたのでしょうが、なかには、「エッ?!」と思うものもあります。
  ママコノシリヌグイ
漢字で書けば、「継子の尻拭い」ということになるのでしょうか。ちいさな可愛い花をつけて、水路の脇などに生えているのですが、茎には鋭い細かいとげが生えていて、溝掃除などの時知らずに触れてしまうと 激痛が走り、飛び上がってしまいます。陰湿な継子いじめを思い浮かべさせるこの名前、初めて聞いた時にはまさかこれが標準和名になっているとは信じられませんでした。「トゲソバ」という 別名があるのならそちらを標準和名にしておけばよかったのに。植物学者の感覚って!「残念!」 因みに、花言葉はなぜか「変わらぬ愛情」。これはもう、何が何だか分かりません。それも含めて、残念!
  名前と言えば、街の印刷屋の扱う「紙」にも名前がついていますが、その中で、残念な名前の代表は、・・・
模造紙
 模造紙(もぞうし)とは、製図や掲示物の作成、小学校での自由研究の発表などに用いられる、大判の洋紙。和紙の一つである局紙(大蔵省印刷局認定紙。紙幣・証券等に用いられる三椏紙)に似せて作られた 上質の化学パルプ紙(Wikipedia)だそうですが、製法や印刷適性の向上もあり、すでに何かの真似ではないにもかかわらず以前のまま「模造」呼ばわりされている、残念な名前の紙です。因みに、この紙は地方によって 様々な異なる呼び方があり、その呼び方で出身が分かると言われていますが、そのことはまた別の機会に。
 

季節のうた⑥ 早春   百人一首より     2020年2月6日


  君がため 春の野に出でて 若菜つむ
    わが衣手に 雪はふりつつ    光孝天皇
 あなたのために春の野原に出て若菜を摘んでいますが、暦の上ではもう春だというのに、私の着物の袖に雪が降りかかってきます。

 節分に豆まきをして、イワシに恵方巻きをいただいたら、次の日は立春。暦の上では春ですが、まだまだ冬の寒さが続きますね。

 競技カルタの百人一首には、「決まり字」と言うものがあって、一文字めが読まれただけで下の句特定できる歌が「む、す、め、ふ、さ、ほ、せ」で始まる七首あります。まずはこの七首から覚えるのが良いかもしれません。  それに対して、この歌は六字決まりの「大山札」と呼ばれます。『君がため 惜しからざりし命さへ ながくもがなと思ひけるかな』という歌があるので、「君がため」の次の「は」まで聞かないとお手つきになってしまいます。要注意。
 
 

ブラックボックスと、街の印刷屋     2020年2月6日


  ブラックボックス (Black box) とは、内部の動作原理や構造を理解していなくても、外部から見た機能や使い方のみを知っていれば十分に得られる結果を利用する事のできる装置や機構の概念 (- Wikipedia)だそうです。ちょうど自動販売機のように、ここにお金を入れてこのボタンを押せば、このジュースが出てくるということを分かって利用していても、内部の構造を分かっているのでなければ、 それはブラックボックスだということですね。このようなブラックボックス、身の回りに随分増えてきましたね。

 さて以前、トマトケチャップや印刷インキにはチキソトロピー性があるという話をしましたが、(ケチャップと、街の印刷屋2018年8月3日) 同じくチキソトロピー性がある物質で、「嫌気性接着剤」というものがあります。こいつはネジゆるみ止め用などに使われる接着剤です。 金属ねじを締め付けて空気を遮断すると硬化を開始し、はみ出して空気と触れている部分は硬化しません。(ゆるみ止めの他、錆、腐食、液体や異物の浸入を防ぐ働きもあるそうです。) 規格表によれば、強さには軍用規格の高強度タイプから、取り外し可能な低強度タイプまで色々あり、その内低強度、中強度のものにはチキソトロピー性があるようですね。 高強度でガッチリ固定するというのであれば、分かりがいいのですが、低強度でチキソトロピー性があるとは、どういうことでしょうか。 おそらく、それでネジを固着してやると一応固定されるが、力をかけて回してやるとまたスルスル動き出して調節が可能となり、力を抜くと再び固着されるので便利だ、ということなのか、 又は、想定外の瞬間的な外力で多少緩んでもそのまま外れきってしまう心配は少ない、ということなんでしょうか。組み立て作業の簡素化やコストの低減に繋がるということを謳っているようですが、 これは部品メーカーの立場での話ですかね。

 で、当社の印刷機で、調節必要な(通常の作業で必要なのかどうかも知りませんが)ネジの部分にこの接着剤が使われている「ような」場所があり、またそこの不具合で他の部分に支障が生じた「ような」事象が起こりました。 「ような」と言うのは、実際そうなのかどうか当方にも分からないし、機械のサービスエンジニアさんも答えられない(or 答える権限がない?)からで、メーカーさんに「教えて~!」とお願いしている状態だからです。 印刷機を自在に使いこなしているオペレータ大先生でも印刷機に対してはユーザーであり、ネジ一本、歯車一個まで、なぜそこでそれが使われる設計なのかということを理解する必要もないので、 ブラックボックスといえる部分もあるわけですね。それでも十分便利に利用している間は問題ありませんが なにか不具合が生じると、ちょっとやっかいな場合もあるわけです。
 
 話はそれますが、自動運転車をはじめとしたAIを使用した自律機械など、我々からすればブラックボックスの塊で、事故が起こると、誰に責任があるのか等、色々問題が生じるであろうことは想像に難くありません。 特に今後自動運転にもクラウドテクノロジーが導入されてくるでしょうし、一般ユーザーはますますメーカーにお任せの部分が増えてくるでしょう。そんな中、仮に悪意を持ってクラウド運転を妨害し、テロを企てる、なんて・・・。 無いとは言い切れませんよね。
 「人工知能(AI)は、悪意が少なからず存在する我々の社会に受け入れるのであれば、 AIを悪意から守る規範を社会の側で用意しておかなければ、かえって社会の崩壊を招きかねない」と言っている人もいますね。我々が悪意からAIを守るのか、 無垢なAIが我々の悪意を罰するのか、映画「ターミネーター」のような未来が来ないことを祈ります。

 ブラックボックスの話から話題が飛び過ぎてしまいましたね。で、ブラックボックスに戻って、オペレータ大先生にしたら、多くの故障が自分の落ち度でなかったことが証明されれば、それはそれは嬉しいことでしょうね。メーカーにしてみれば、 ユーザーの想定される使用方法や機械の使用環境等、全てを計算に入れて設計することは、至難の業でしょうが、ユーザーである街の印刷屋としては、頑張って欲しいといころではあります。  
 

季節のうた⑤ 晩秋   百人一首より 12/02/'19


 奥山に 紅葉踏み分け鳴く鹿の
     声聞くときぞ 秋は悲しき    猿丸大夫

  人里離れた奥深い山で、あたり一面散り敷いた紅葉を踏み分けながら鳴いている鹿の声を聞くときこそ、秋がいっそう悲しく感じられます。
 赤や黄色の絨毯となって散り拡がっている美しい紅葉。暮れゆく季節の中、天を仰ぎ鳴く鹿に、恋しい人を想う自分の姿を重ね合わせているのでしょう。

 鹿と紅葉と言えば、花札が思い浮かびますが、花札は一組48枚で、12か月折々の花が4枚ずつ、一月から順に、松・梅・桜・藤・菖蒲・牡丹・萩・芒・菊・紅葉・柳・桐が描かれています。
 十月の紅葉の札は、鹿が横向きでそっぽを向いているように見えます。この札が語源となって、無視することを「鹿の十(しかのとお)」、「シカトする」と言うようになったそうです。
 
 

ジッポーと 街の印刷屋 11/21/'19


  昭和30年代の小学生がたまにマッチやナイフを持ち歩くことは、そんなに特別のことではなかったと言われる方がおられました。そう言えばそうかも知れません。なにしろ、「2B弾」などという花火の一種が 駄菓子屋(?)で普通に売られていて、着火にはマッチの箱の横の赤燐などが塗られた部分でこすってやる必要があったのですから。また筆箱には鉛筆削り用の、片刃のカミソリの刃を利用したようなのが当たり前に入っていましたし、 蓄音機(!)用の幅の広いゼンマイの切れたのを自分で切り出しナイフに加工して持っていたなんて猛者も中にはおりました。まあこれはちょっと特殊な例かもしれませんが...
  さて、マッチはやがてライターに取って代わられるのですが、そのライターでさえ現代の禁煙の流れの中では影の薄いものとなってしまった感があります。しかしそんな中、Zippo(ジッポー)のオイルライターだけは ちょっと特別な地位を占めているようで、今でも愛好家や収集家がおられて、かなり髙値のつくものもあるそうです。風に強く、燃料とフリントさえ補充すれば半永久的に使えるくらい丈夫であることはもちろん、 あのカチャカチャというメカニカルな感触に惚れ込んで、何をするでもなく手の中で時々楽しんでいる方もおられるようです。手の中でカチャカチャすることには、癒しの効果や精神安定作用もあるのでしょうか。 (ちょっと、猫の爪とぎ行動にも通じるものがあったりして・・)
 ところで話はそれますが、火起こし棒や火打石で火を起こす事と比べれば、ライターとは何と便利な道具であることか、というわけで、あるとき、ニューギニアだったか、アマゾンだったか、とにかく 「未開」の人達にライターを見せたんだそうです。さぞかし驚きと感動を、あるいはひょっとして恐怖に近い感情を持ってこの新しい「ライター」という火起こし器に接するだろうと思いきや、ごく普通に、淡々と、道具として 使いこなしたそうです。「文明人」の思い込みが見事に裏切られたわけですね。何といってもヒトは「ホモファーベル」(道具を造って使うヒト)であるということですか。
 そもそも、物事に対して感動するということは、そのことやその周辺領域に関する「ある程度」の知識があるということで、全く知らない場合や、逆に完全に理解している 場合には、感動もなにもないのかもしれませんね。
 印刷の分野でも、日本で初めて開発され1924年に実用化された「写真植字」、いわゆる「写植」に取って代わって1990年代後半からいっきに普及してきたパーソナルコンピュータを利用したDTPは 当、街の印刷屋でも当たり前のものとなっていて、それについて誰もいちいち感動などしませんね。DTP周辺の関連ソフト、例えば写真加工のソフトでも、昔押入れを改造して作った暗室の中で、覆い焼きや焼き込みで 部分的な濃度調整をしていたことを思えば、なんと便利な、・・と言うべきなんでしょうが、ガウスフェードやコンボリューション等、デジタル処理ならではの機能も原理の分からない当方としては、ただ道具として使うのみです。 なので、お客さんに、持ち込まれた写真の「この部分を消してくれ、あ、それともう少し赤みを強く」と言われ、加工後、「やっぱり元の方がいいかな」などとさらっと言われると、「この方はすごく詳しい知識を持った方なのかな」、と 思ったりしてしまいます。
 というわけで、こんな時こそZippoが役立つかもしれませんね。さもなければ、パソコンのキーボードではなく、アンティークなUnderwoodの手動タイプライターでもカチャカチャ叩いて、癒されたいと思うこともある、街の印刷屋でした。
 

[最新記事] 季節のうた④ 初秋   百人一首より 8/19/'19


 八重むぐら しげれる宿のさびしきに  
        人こそ見えね 秋は来にけり   恵慶法師

 雑草が生い茂り、荒れ果てたこのさびしい宿に、訪れる人は誰もいませんが、それでも秋だけはやって来たようです。

 この歌には「河原院にて荒れたる宿に秋来るといふ心を人々詠みはべりけるに」という詞書(ことばがき)があります。河原院は、源融(みなもとのとおる 9世紀の歌人)の大豪邸で、『源氏物語』の主人公、光源氏の邸宅のモデルとも言われていますが、当時すでに荒れ果てていました。

 きらびやかで豪華だったお屋敷も、時の流れには逆らえず、いつの間にか廃れてしまいました。さびしい秋が、よりいっそう寂しく感じられますね。

 河原町の由来ともなった「河原院」ですが、現在は鴨川の五条大橋のたもとにエノキが植えられ、その下に『此附近 源融河原院址』の石碑が立っているのみです。

叩いて直ったテレビと、街の印刷屋 8/15/'19


 時々画面が砂嵐状態になり、軽く叩いてやると直るという昭和のブラウン管テレビ風ガジェットが販売されているようです。 今のハイテク技術を使いつつ、そんなレトロな場面を再現するこの商品を面白いと感じるのも、実際にそのような経験があったからですね。 ネットの「教えて!」系サイトで「昔のテレビって叩いたら直ったって本当ですか?」という書き込みを見ると、「そーいう年代か!」と、ある種感動を覚えるとともに、 若者にとっては「このおもちゃ、何が面白いん?」ってことになるのかな、と思ったりもします。昭和も遠くなりにけり、かもしれませんね。しかしまあ、テレビに限らず具合の悪くなった電気製品を「ダメもと」で叩いて直ると、 得した気分なったものです。これを「直った」あるいは「直した」と言えるかどうか甚だ疑問ですが、確かにうまくいったわけですし、 しばらくは悩まなくてもいいわけですから。もちろん当世の電気製品などでは、「叩いて直す」なんてことはまず考えない方がいいみたいです。機械的接点や半田付け箇所の多かった昔のテレビと違って、今の精密電子機器を 含む製品では、叩くと直るどころか、決定的なダメージを与えてしまう可能性が大いにあります。

 話はそれますが、今日では叩いて直らないのは機械ものに限らないようです。昔は子供がちょっと道に外れたことをすると親なり教師なりがコツンとやって、それで子供も軌道修正ができたものです。 今ではそういうやり方では、「叩かれた」という事実に対する反感だけが子供に残ってしまい、あまりいい結果をもたらさないことが多いようです。場合によっては「虐待」で通報されます。 また実際、親による子供の虐待もある今日であり、それだけ社会が複雑化し、その結果生じた歪が社会の最も弱い部分で露呈しているのか・・・考えさせられます。

 さて、直すのではなく、叩いてシステムの特性を探るというのは、今でもありですね。蒸気機関車の機関士が動輪の油壺の蓋やクランクピンなどをハンマーで軽く叩き、その音によって異常の有無を点検していく、あれです。 またトンネル内壁のコンクリートの問題個所を、ハンマーでコツコツ叩いて探っていくなんてのもありましたね。お医者さんが指でトントン、PAさんがコンサート会場で手をパチン、 スイカをポンポン、ワイン樽をコンコン、これらは全て、 雑な言い方をすれば、未知の系(システム)にインパルス(デルタ関数的な波形)を入力したときの出力からその系の特性を探っているということです。人間の知覚・認識にフーリエ変換やラプラス変換的情報処理をする 仕組みがもともと備わっているのかどうか知りませんが、熟練した職人の技が必要だということは確かなようです。 もっとも今では、ハンマーで叩く代わりに超音波や電磁波を使い、お医者さんの打診の代わりにはエコーやCT、MRI、という具合に技術が進歩し、どの世界にも熟練の技の出番は少なくなってきているようです。

 当、街の印刷屋にも、最新の機器の中にあって昭和の香りをプンプンさせながら現役で頑張っている機器たちもおりますが、これを動かす職人さんの熟練の技も大切にしたいと思う、今日この頃です。

半夏生と 街の印刷屋 7/2/'19


  「半夏生ですね」・・・こんな会話、いまではあまりしませんね。
  暦の上での半夏生とは七十二候のひとつで、夏至の日(2019年は6月22日)から数えて11日目(現在では天球上の黄経100度の点を太陽が通過する日とされている)で今年は7月2日になります。また期間を言うこともあり、 その場合はその日から五日間、今年では7月6日までとなります。夏至のころ忙しかった田植えなどの農作業も一段落した半夏生の頃というわけで、 奈良県の農村部では半夏生餅を食べてお互いの労をねぎらう習慣があったそうです。
  生活基盤が農業から多様化した今日あまり意識されない「半夏生」ですが、ひょっとしたら御杖村(奈良県)の人たちには、結構身近なものかもしれません。なぜなら、昨今準絶滅危惧植物の「半夏生」の貴重な群生地が御杖村岡田の谷にあるからです。 植物のハンゲショウ(半夏生、半化粧、学名 Saururus chinensis)は、ドクダミ科の多年性落葉草本植物で、日本の本州以南、朝鮮半島、中国、フィリピンなど東アジアの亜熱帯性湿地に分布し、日の当たる湿地などにて 太い地下茎で分布を広げて群生します。 岡田の谷ではこれが7月になると葉の一部を残して白く色づき、 約3000平方メートルにわたってまるで白い絨毯をしきつめたような風景をみることができます。是非一度は見てみたいですね。
  ところで話はそれますが、暦の半夏生のころに花が咲き葉の一部が白く色づくので半夏生だといい、「半夏生」が色づくから暦では半夏生というのだと・・、これって、・・・・・
   循環論法ですよね。AなのはBだから。BなのはCだから。そしてCなのはAだから。このような論の進め方を「循環論法」といい、結局なにも説明されていないことになります。まあ、命題が二つや三つならすぐわかりますが、これが、風が吹けば桶屋が儲かるの類で 経済現象のように命題の数が何千何万となってくると、話しているほうも聞いているほうも、循環論法に陥っていても気がつかないことがよくあります。学術論文で循環論法になっていることが見つかれば、その理論は終わりですね。 日常生活でも、選挙の頃ともなると、「〇〇政党こそが唯一最高の政党である。なぜなら〇〇政党は唯一最高の政党であるからである。」みたいな論が大声で叫ばれていたりします。なにかと、要注意ですね。
  とは言え、理論ではなくて実際の経済現象なんぞでは、たとえ理論が循環していても、当面の目の前のお金のめぐりが上手くいってさえいればそれでいいのかな、と思えたりして。これは真実なのか、気の迷いなのか、んー、考えれは考えるほど分からなくなります。
  ちょっと岡田の谷の半夏生でも見に行って、すっきりしたい、街の印刷屋でした。

季節のうた③ 夏   百人一首より 6/14/'19


   風そよぐ ならの小川の夕暮れは
     みそぎぞ夏のしるしなりける  従二位家隆

  風がそよそよ楢の葉をゆらしています。ならの小川の夕暮れは涼しくて、夏であることを忘れるほどですが、夏越祓(なごしのはらえ)の禊(みそぎ)の行事が、夏である証ですよ。
  
  「ならの小川」は奈良ではなく、京都の上賀茂神社境内を流れる御手洗川(みたらしがわ)のこと。ブナ科の落葉樹、楢と掛詞(かけことば)にもなっています。 夏越祓では、水に入って心身を清めたり、茅の輪をくぐって半年分の厄を落としたりします。
 上賀茂神社は、正式名称は「賀茂別雷(かもわけいかづち)神社」といい、京都三大祭のひとつ、五月十五日に行われる「葵祭」でも有名ですが、 小川のせせらぎに耳をすませながら、ゆったりと参拝してみてはいかがでしょうか。

季節のうた② 初夏   百人一首より 5/31/'19


  春過ぎて夏来にけらし
  白妙の 衣干すてふ天の香具山  持統天皇

もう春が過ぎて、夏が来てしまったようですね。天の香具山には真っ白な衣が干されているのですから。

  亡夫 天武天皇の遺志を継ぎ、女帝 持統天皇が飛鳥から都を遷した藤原京。東に天の香久山、西に畝傍山、北に耳成山の大和三山を望む新都で詠まれた歌です。 青空に木々の緑、真っ白な衣、すがすがしい夏の訪れが感じられますね。
 唐の長安を模して造られた日本最初の本格的な都城ですが、 わずか十六年で平城京に遷都され、歴史の上でも忘れられた感は否めません。
現在は、大極殿跡に基壇が残るのみですが、菜の花や桜、蓮、コスモスなど風景を彩る花々が、古代の風とともに、訪れる人に様々な表情を見せ楽しませてくれます。

酸模(スカンポ)と 街の印刷屋 5/20/'19


  「すかんぽの咲く頃」という歌をご存知でしょうか。
    ♪土手のすかんぽ ジャワ更紗~
  北原白秋作詞・山田耕筰作曲の歌で、大正14年7月発表なので、知らない方もおられるでしょうね。
    ♪昼はホタルがねんねする~
  そう、少し前までは、当、街の印刷屋の界隈でも普通にホタルが見れたと言いますが、近頃は少し山の方へ行かないと見かけないようです。
    ♪僕ら小学尋常科(じんじょうか) 今朝も通って またもどる~
  今なら、「小学一年生(あるいは六年生)」というところでしょうか。

  ところで、なぜスカンポがジャワ更紗なのか、ということはさておき、「スカンポ、ああ、知ってるよ」といわれても、それが地域によっては別の植物を指していることがあるので、要注意です。 ジャワ更紗との類似にこだわるならば、北原白秋が言うスカンポはどうやらスイバのことらしいのですが、イタドリのことをスカンポという地方もあり、またスイバに似た別の 植物であるギシギシをスイバと区別しない地方もあるようです。イタドリ、スイバ、ギシギシ、これらは分類上は別の植物ですが、ややこしいですね。

  あ、余談ですが、地域によって違うと言えば、街の印刷屋として思いつくのは名刺の号数ですね。スカンポの話と違って同じものを違う言い方で表すということになるのですが、 標準的な名刺のサイズ91mm×55mmを関西圏では9号というのに対して、関東では4号と呼ぶのです。号数で注文されることは滅多にないので すごく困るということはないのですが、まあ、要注意というところでしょうか。で、・・・

  ♪すかんぽ すかんぽ 川のふち
  ♪夏が来た来た ド レ ミ ファ ソ

  身の回りの何でもないような自然の風物から季節の移り変わりを感じる、そんな感覚を大事にしたいと思う、街の印刷屋でした。
 

「あたま山」と 街の印刷屋 4/26/'19


  元号が改まるのも目前となりました。歳月は着実に流れているようですね。しかし、この国には歳月が経ってもその良さが失われないものが 沢山あります。今回はその中で、世界的にも珍しい伝統的話芸である「落語」というものの、季節感について考えてみましょう。(←無理やり範囲を絞りましたね)
  もちろん落語は季節を描くのがその目的ではありませんので、オールシーズンものとも言える演目も沢山ありますが、噺の内容でその季節にしか演じることが出来ないものもあり、 また聞き手の感性によってなんとなく季節を感じさせるものもあったりして、そこに落語の季節感というものが生まれてくると言えるでしょう。
  さて、時節柄、「春」にまつわる落語にはどんなものがあるか、調べてみると、「長屋の花見(貧乏花見)」「愛宕山」「百年目」「紺屋高尾」「明烏」「天神山(安兵衛狸)」 「あたま山」「甲府い」「一つ穴」「四段目」「豊竹屋」「松山鏡」「付き馬」「蟇の油」「猫の皿」「浮世床」「たらちね」「雛鍔」等々、結構多くの名演目があるようです。
  その中の「あたま山」(←またまた無理やり絞りましたね)は、江戸落語の演目で、上方落語では、「さくらんぼ」の題名で演じられており、 主にケチの噺の枕として使われる小噺であったのを、八代目林家正蔵(1895-1982)(林家彦六)が話を膨らませて一席噺としたものといいます。

  [あらすじ]
  ---気短な(あるいはケチな)男が、サクランボを種ごと食べてしまったことから、種が男の頭から芽を出して大きな桜の木になる。 近所の人たちは、大喜びで男の頭に上って、その頭を「頭山」と名づけて花見で大騒ぎ。男は、頭の上がうるさくて、苛立ちのあまり桜の木を引き抜いてしまい、 頭に大穴が開いた。 ところが、この穴に雨水がたまって大きな池になり、近所の人たちが船で魚釣りを始めだす始末。 釣り針をまぶたや鼻の穴に引っ掛けられた男は、怒り心頭に発し、いっそ一思いに死んでしまおうと、南無阿弥陀仏と唱えて、自分の頭の池にドボーン ---

  さて、この噺に対する海外の類話として引き合いに出されるのが 1786年に出版されたビュルガー原作の小説「ほら吹き男爵の冒険」で、そのなかのエピソードとして
  「主人公のミュンヒハウゼン男爵が狩りに出かけ、大鹿を見つける。あいにく弾が切れていたので、代わりにサクランボの種を鉄砲に込めて撃つと、鹿の額に命中したものの 逃げられてしまう。数年後、同じ場所に行ってみると、頭から10フィートばかりの立派な桜桃の木を生やした鹿がいた。男爵はこれを仕留め、 上等の鹿肉とサクランボのソースを一緒に手に入れた。」
  というものがあります。

 どうですか。確かに類話と言えなくもないですが、やっぱり全然違いますよね。作品の目的が異なるので当然といえば当然でしょうが、 「ほら吹き男爵の冒険」の方は単なる(壮大な)ほら話という体であるのに対して、「あたま山」は、そのオチの何とシュールなことか。原話は『坐笑産』の「梅の木」で、 安永2年(1773)刊といいますから、凄いですね。それを、ちょっと神経質そうな(ヤバそうな)演者がやると、これはもう聴いているほうもけむに巻かれるというか、 あっけにとられるというか、芸に引き込まれてしまいます。

  ところで、この噺において、「男」の、桜が生えた「あたま山」は「男」の「部分」であるのですが、この「部分」がごちゃごちゃになってしまった故に「全体」である「男」がその「部分」である 頭の池に身を投げてしまうという構図ですね。現代社会においても「全体」と「部分」の整合性がとれず、「総論賛成、各論反対」や逆に「具体的には賛成、方向性には反対」 というようなことはしばしば起きますが、この噺の面白いのは、当、「街の印刷屋」に限らずあらゆる組織において、「部分」が標準化され、整合性がとれることで「全体」が最適化されていくのか、あるいは 「部分」の中に「全体」最適化を達成した結果が存在するものなのか、と、考えさせられるところですね。(落語的には、そんな面倒くさいことを考えるのは邪道かもしれませんけれどねー)

  何はともあれ、落語を演じ伝える人、その落語を楽しむ人、やっぱりこの国の文化はすばらしいと、改めて感じている今日この頃です。

季節のうた① 春 百人一首より 4/24/'19


    いにしへの 奈良の都の八重桜 けふ九重に匂ひぬるかな     伊勢大輔

  かつての都 奈良の興福寺から献上された八重桜が、今日はこの宮中で美しく咲き誇っています

  奈良県の県花にもなっている「ナラノヤエザクラ」は、奈良に咲く八重桜の総称ではなく、桜の品種名で、蕾は濃い桃色なのに、咲くと白くなり、 散り際にまた紅色が強くなるそうです。

開花が四月下旬から五月上旬と遅く、他の桜が散ったころに咲き始め、盛りは短いので、目にする機会は少ないのではないでしょうか。

  県庁の東、新しい奈良公園バスターミナル南側には純正種が一本移植され、石碑も建っています。ソメイヨシノとは違って、葉に混じって花が咲くので、 桜色が強くなくて見つけづらいようですが、小ぶりながら可憐な花を探して奈良公園を散策してみてはいかがでしょうか。

「渡り」と 街の印刷屋 3/6/'19


  お水取り(東大寺二月堂の修二会[しゅにえ])が終わるまでは暖かくならないといわれている奈良ですが、最近の暖かさに、当、街の印刷屋でも春はすぐそこという感じの今日この頃です。 そんな春の訪れの象徴として、ツバメの来訪を心待ちにしている人もいるのではないでしょうか。
  昔からツバメが家に巣を作ると縁起がよいと言われています。 渡り鳥であるツバメがいろいろな環境を知っているなかで居心地の良い環境を選んで巣を作るので温度、湿度的にも良い家といえるからだと言われています。 ツバメにしてみれば、ヒトの出入りの多いところに巣を作るのは、天敵であるカラスやヘビからタマゴやヒナを守るためにも具合がよかったのかもしれませんね。 出入りの多い家は繁栄しているということで、やはり縁起がいいのでしょう。
  渡り鳥としては、ほかにも白鳥や雁が思いつきますが、三河(愛知県)出身の知人が鷹も渡り鳥だよと教えてくれました。 (いくつになっても知らないことはあるもんですね、当たり前ですが)それじゃ、ゲド戦記の主題歌「テルーの唄」に、夕やみ迫る雲の上をいつも一羽で飛んでいるタカは云々 という下りは何なんだ?いつもじゃないだろうが、渡りでやって来たときだけじゃないのか?と、ツッコミたくなって調べてみると、世界中には約280種の猛禽類(ワシ、タカ、フクロウなど)がいるなかで、 日本で記録されているワシ・タカの仲間は30種、そのうち16種が夏鳥や冬鳥・旅鳥とし記録されているということを知りました。そーだったんだ。 なかでも夏鳥として渡ってくるハチクマとサシバは日本に渡ってくるタカの両横綱で、渡りのルートのひとつに愛知県の伊良湖岬があるとか。それで三河出身の知人は知っていたんですね。
  ところで渡りをする動物はトリに限ったことではなく、昆虫の蝶にも渡りをするものがあるそうです。 手塚治虫の漫画「ジャングル大帝」の主人公、白いライオンの「レオ」は、子供のころ人間につかまって動物園に売られそうになりますが、ロンドンに向かう船からなんとか脱出し、 故郷アフリカに向かって海を泳いで渡るときに、チョウの群れに導かれてアフリカへ渡るというシーンがあります。ルート設定からするとこれがヒメアカタテハということで、手塚治虫も 物知りですね。(作品ではマダラチョウとなっていますが)
  そして、渡りをする蝶は日本にもおります。ご存知の方もおられると思いますが、アサギマダラがそれです。アサギマダラ (Parantica sita niphonica)はタテハチョウ科マダラチョウ亜科に属し、 前羽が4~6センチほどの大きさで、羽を広げると10センチ前後になります。黒と褐色の模様と、ステンドグラスを思わせる透けるような薄い浅葱(あさぎ)色の斑(まだら)紋様の羽を持っています。 胸にも特徴ある斑模様があり、これが名前の由来です。遠くは台湾、香港まで南下した個体が確認されているそうで、本土にも中継地が何か所かあり、愛好家、研究者のグループやネットワークも あるようです。この蝶はフジバカマという花を好み、本土でもその自生地が中継地となっていることが多いことから、自分の土地にフジバカマを植えてアサギマダラを呼び寄せようとした人が いたそうです。ところがこのフジバカマ、猛烈に地下茎を張って繁殖する植物で、土地が大変なことになってしまい、結局刈り取ることになったそうです。 蝶が相手とは言え、一宿一飯は施す側にもそれなりの覚悟がいるようで・・・
  研究者の方がこういった渡りの研究をするのには色々と学術的な意味があるのでしょうが、ブランケットに張り付く紙のようにこの地上に張り付いて暮らしを営む街の印刷屋から見れば、 大空を飛び、遥か海を渡って「渡り」をするのは大変だろうに、どうしてそんなことをするのだろうという疑問とともに、なにかロマンのようなものを感じてしまうのも否定できません。
  海を渡って彼らがやってくるこの地が、今年も天地(あめつち)の巡りも順調で、人々の心も穏やかでありますように。

ATF と 街の印刷屋 12/20/'18


  「時間がねー・・・」と先送りしているうちに、厄介な問題になってしまったということ、ありますよね。
   ATFとはオートマチック・トランスミッション・フルードの略称で、いわゆるオートマ車の自動変速機の中の油ですが、OIL ではなくて AT Fluid(流体)となっているとおり、 エンジンオイルと異なり潤滑や冷却だけでなく、作動油としての役割が大きいものです。
   最近では自家用車の所有形態も多様化してきているとはいえ、エンジンオイルを自分で、あるいはディーラーや街の自動車整備会社あるいはガソリンスタンドなどでメーカー推奨の走行距離で 交換するように心がけている方も多いでしょう。ATFも、メーカーや車種によって異なりますが、2~3万キロ程度での定期的な交換が推奨されていることが多いようです。 しかしこれが6,7万キロ超の過走行車の場合、ATFを交換するとかえって不具合を起こし、最悪、自動変速機が壊れてしまう可能性もあると言いますから、要注意です。 ATFが古く劣化して変速機内にスラッジも溜まっていながらも、それなりになんとかバランスを保っていたものが、新しいATFに交換することでこのバランスが崩れたり、 洗浄力が増すことで剥がれ落ちたスラッジや鉄粉が細かく複雑なバルブボディの通路に詰まり、悪さをする可能性が無きにしも非ずというわけです。 10万キロほど無交換で走っていたが最近変速ショックが気になるからATFを交換してみようか、などと安易に考えない方がいいようです。 もちろんこのような場合、ディーラーや整備工場でも交換を断ることがあるようですが。(自動変速機でもCVTは全く原理、構造が異なるので話は別です。)
   特に機械ものでは、下手に掃除などしてかえって調子が狂ってしまったということが、実際あります。昔の話で恐縮ですが、ある紡織会社の工場を見学させてもらったとき、 天井から糸くずが幾つも連なって垂れ下がっていたので、掃除はしないのですかと尋ねたところ、掃除をするとかえって不良品がでるのでそのままにしてある、と聞いて、 「へー」となったことがあります。(あくまで昔の話で、現在の状況は知りませんので、念のため。)

 あ、こんな話をしたからといって、年末の大掃除を逃れる言い訳をしているわけではありませんよ。人にも機械にも感謝の心を込めて、掃除をさせていただくとしましょうか。 (時間がねー・・・)

ちょっといい漢字⁉ 『秋』 11/11/'18

 澄み切った青空に山々の紅葉が鮮やかで、秋の深まりを感じる季節となりました。

 『秋』という漢字の部首は「のぎへん(禾)」ですが、よく似ていても「きへん(木)」とは同じ仲間ではないのです。
「のぎへん(禾)」は、稲や麦などが穂を実らせた形からできています。「ノ」の部分は、穀物の穂先が垂れ下がっている様子を表します。
収穫前の田んぼで、さわやかな風に揺れながら、黄金色に輝く稲穂をイメージして下さい。

収穫した穀物を火を焚いて乾かす季節が「秋」。多く実ると別の場所へ「移」し、その中から「税」として納める。ずっしりと重く実った「種」、など。

 植物は「木」(きへん)や「草」(くさかんむり)の漢字なのに対して、食用となる穀物は「禾(のぎへん)」や「米(こめへん)」になります。

 では、「のぎへん(禾)」の漢字クイズといたしましょう。

①積もる ②穏やか ③稼ぐ ④秀でる
⑤む幼稚 ⑥秩序 ⑦黙秘 ⑧天秤 ⑨豊穣
⑩秋刀魚 ⑪秋桜 ⑫科白

難しいのもありますが、いくつ読めましたか。答え合わせして下さいね。

①つ(もる) ②おだ(やか) ③かせ(ぐ) ④ひい(でる) ⑤ヨウチ ⑥チツジョ 
⑦モクヒ ⑧テンビン ⑨ホウジョウ ⑩さんま ⑪コスモス ⑫セリフ


金継ぎと、街の印刷屋 10/02/'18

金継ぎ(きんつぎ)とは、割れや欠け、ヒビなどの陶磁器の破損部分を漆によって接着し、金などの金属粉で装飾して仕上げる修復技法で、金繕い(きんつくろい)とも言います。
破損部を漆で修復した痕跡は縄文土器にもみられるそうですが、室町時代以降、蒔絵など漆を使う工芸技術と、修理した器もありのまま受け入れる茶道精神の普及により、 金継ぎに芸術的な価値が見いだされるようになった、いわば日本人の美意識がその根底にある伝統的工芸技術です。現代においても専門の方がおられるのはもちろん、 DIYでやってみようという方もおられるようで、ちょっとしたキットが売られていたりします。
 さて、ここで主役の漆ですが、これが固まるのには、湿気が必要です。乾燥に湿気が必要というのも面白い話ですね。漆の乾燥硬化過程は、空気中の水蒸気に含まれる酸素を用いて 生漆に含まれる酵素(ラッカーゼ)の酵素反応によって起こるウルシオールの酸化重合反応と、それに続いてゆっくり進行する自動酸化であるところの、 空気中の酸素によるアルキル部位の架橋反応から成り立っています。 酵素酸化には温度と湿度が必要であり、この反応が進行しないとそれに続く自動酸化もうまく進まないようで、まったく硬化しません。
このように、漆が固まる(乾燥する)のは絵具やラッカーの溶剤が揮発して固まるのとは全く原理が異なります。硬化するのにも時間がかかり、金継ぎの場合では、最初の接着工程に 室(ムロ)という加湿用の戸棚あるいは容器の中で静置して約一週間ほどかかります。

 ところで、重合だの架橋による硬化だの、およそ街の印刷屋には直接の関わりがないと思われるかもしれませんが、そうでもありません。 平版や活版印刷用のインキの多くは酸化重合によって乾燥するタイプです。
最近注目は、ウレタン系反応型ホットメルト接着剤(PUR)です。この接着剤は、空気中の湿気や被着体(紙)の中に含まれる水分による架橋反応で硬化します。従来、建材の接着などには使われていた材料ですが、 最近、これに対応した無線綴じ機が導入されるようになってきています。一般的な製本のりである「EVA系ホットメルト接着剤」を使用した無線綴じ製本と比べて、
ページの開きが良い、開きの耐久性が高い、高温にも低温にも強い、環境面でもリサイクル性が高い、
などのメリットがあります。 (当、街の印刷屋でも近々導入することになっています。より高品質の製本をご提供できると思いますので、ご期待ください)

それにしても、酵素の働きによる漆の乾燥硬化を利用した工芸から、化学製品PURによる製本まで、ヒトの知恵って面白いですねー。


美味しい歳時記 仲秋     9/27/'18

 秋晴れの爽やかな空に、風が心地よい季節になりました。とは言うものの、台風や地震の被害にあわれた方のことを思うと、心穏やかではいられません。一日も早い復興を願ってやみません。

 梨むくや甘き雫(しずく)の刃(は)を垂(た)るる   正岡子規

  皮を剥いているナイフから、梨の果汁がしたたっています。みずみずしい甘さとほのかな酸味があって、シャリシャリとした食感が、秋の到来を実感させてくれます。

 梨は4月頃になると、白い可憐な花を咲かせます。同じ品種の梨の花粉ではうまく実がならず、めしべの5つの柱頭すべてに受粉しないと形よい丸い梨にならないので、 昆虫や風による受粉を待たずに、人の手で受粉の手助けをするそうです。

 日本では歌舞伎の世界を「梨園」と呼びますが、もともとは唐の玄宗皇帝が、梨の植えられた庭園で、自ら音楽や舞踊を教えたことに始まるようです。



マヨネーズと、街の印刷屋     9/11/'18

  家庭の定番調味料の一つとして大活躍しているマヨネーズ、その起源は18世紀半ばのフランスといわれており、日本では1925年に初めて製造されました。
マヨネーズには、日本農林規格(JAS)で定められた規格があり、それによると、マヨネーズとは
「半固体状ドレッシングのうち、卵黄又は全卵を使用し、かつ、必須原材料、卵黄、卵白、たん白加水分解物、食塩、砂糖類、はちみつ、香辛料、調味料(アミノ酸等)及び香辛料抽出物以外の原材料を 使用していないものであつて、 原材料に占める食用植物油脂の重量の割合が65%以上のものをいう。」
と、ざっと見ても結構厳格な規定となっています。ただし厳格とは言っても、例えば原材料の中の「はちみつ」を掘り下げて考えれば、
「はちみつ」は分類としては畜産食品だが「ミツバチ」は有機畜産物の対象外だ、ということで、「はちみつ」は有機JASの格付の対象となっていないというややこしい話で、 「純粋はちみつ」≠ 純粋「な」はちみつ などとというような、訳の分からないことにもなっており、「?」が一つや二つは付く「厳格」ではありますが。

  それは別として、簡単にいうとマヨネーズとは食用油・酢・卵を主材料とした半固体状ドレッシングということになりますが、この半固体状ドレッシングというのがポイントで、 自作する方はご存知のように、油以外の材料を常温でよく攪拌したところに油を少量ずつよく攪拌しながら加えていくことで乳化させ、水中油滴(O/W型)エマルションとしたものが、 マヨネーズというわけです。全材料を単にざっくりと攪拌しただけでは、マヨネーズの風味とはならないのですね。 メーカー製のマヨネーズでは、混合や乳化過程に工業的工夫がなされていて、そのあたりが、材料にこだわって作った自作派のマヨネーズもなかなか敵わないところではあります。

  エマルションというのは水と油というような本来混ざり合わないものを、乳化剤(マヨネーズでは、卵黄)の界面活性効果によって安定した分散系としたもので、マヨネーズが防腐剤を 含まない(JAS規格から、入れられない)のに腐敗しにくいというのも、もともと腐敗しない油が腐敗しやすい水溶性の成分を包み込んでいるからです。ですから、自家製のマヨネーズがあまり日持ちしない というのも、乳化の不安定さが一因となっているのでしょう。
  もっとも、安定した分散系といってもエマルションは本来不安定なもので、未来永劫安定しているわけではありません。それで、マヨネーズやマーガリンなどの食品、またフェイスクリームなどの化粧品では、 いかに分散状態を長く安定化させるかが、メーカーとしても工夫のしどころということですね。

  ところで、安定化した分散系であるエマルションがいつも望ましいものであると限ったことではありません。 例えば、時々オイルの海洋流失がニュースになりますが、大型船などから流失したC重油は波浪の作用で海水と混じり合ってエマルションとなり、含水して超高粘度、容積も3倍位に膨張します。 そうなると油吸着材も乳化剤も効果がないので物理的に除去するしかありません。海岸に流れ着いて、海鳥などに可哀そうな被害が出るという、あれです。
 オフセット印刷では、印刷に際して、インキの表面に湿し水が付着し、ローラのニップを通過していくうちに湿し水が微細化され, インキの中に分散化するかたちでW/O型エマルションとなります。湿し水とインキの境界にエッチ液やイソプロピルアルコールなどの乳化促進剤が存在し、これによって水微粒子の安定が保たれています。 これが通常のインキと水の良好な関係であり、その時インキ中に含有する水分は15~17%が良いといわれています。
ところが湿し水が入りすぎてO/W型エマルションとなってしまうと今度は水負けやブラン残りといったトラブルの発生につながっていくわけで、このあたり、オペレータ大先生の腕にかかってくるのでしょう。
   一方、孔版印刷機も最近ではかなり精細な印刷が出来るようになっていますが、これには、マスター(昔風に言えば、原紙)についての、メーカーの技術開発が関係するようです。 ガリ版から始まった孔版印刷は、ドラムの内側からのインキがマスターに穿孔された微細な穴を通して滲み出して紙に転移され浸透乾燥して印刷画像となるという仕組みですが、 従来のマスターは、インキ通過孔を開ける感熱孔版印刷用フィルムと補強のための和紙を接着剤で貼り合わせただけの構造となっていたため、微細な画像の再現性は劣っていました。 あまりにもざっくりした言い方で恐縮ですが、メーカーが新たに開発したマスターは、フイルム表面に多孔性樹脂層をコーティングすることで、画質の向上や裏移りの低減を実現したものです。 この多孔性樹脂層は、多孔形成用樹脂を溶媒中に溶解して作成した油相と、水相粘度調整用樹脂を水に溶解させて作成した水相からなるエマルションをフィルム上に塗布・乾燥することによって得られる のですが、このとき高空隙率で常に均一な多孔性樹脂層を形成するためにはエマルションがある一定の大きさで均一でなければならず,しかも塗工直後から水相癒合が連続的に起こるよ うな「不安定性」が要求されるということで、マヨネーズや化粧品の場合とは真逆の状況ですね。この製造過程におけるメーカーのシステム開発のお陰で、600dpiでもドット欠けがない製版が 実現され、街の印刷屋も結構重宝しているというわけです。

  日本のマヨネーズは世界一美味しいといわれています。なんにでもマヨネーズをかける「マヨラー」と呼ばれる人たちが存在することを理解できないという外国人が、日本のマヨネーズを食べると、なるほどと納得するそうです。 また、日本の印刷技術も世界最高レベルだという評判です。
それらの陰にある技術開発への努力というものを考えると、野菜炒めの時、いくら便利だからといって、油の代わりにマヨネーズを投入する、
な-んてことは、 美味しいウィンナーソーセージに切れ目を入れて炒めるのと同じくらい罪深~いことなんでしょうね。
(おいしいんですけどねー)

ちょっといい漢字⁉ 『虫』     9/9/'18

  朝夕は暑さも和らいで、虫の声に秋の訪れを感じる季節となりました。

 『虫』という漢字は元来、マムシなどの「ヘビ」を表す象形文字でした。

 天空には「ヘビ」に似た姿の龍が住み、『虹』はその龍が創り出すもので、『風』も龍が起こすものと考えられていたため、ともに『虫』が使われています。
 一方、今で言う「ムシ」は『蟲』と書いたのですが、三回も「虫」を書くのが面倒だったせいか、画数の少ない「虫」が用いられるようになったそうです。
 虫へんの漢字を集めてみました。あまり気持ちのいい漢字ではなくて恐縮ですが…。

①蚊 ②虻 ③蚤 ④蚕 ⑤蛍 ⑥蜂 ⑦蛾⑧蝉 ⑨蝿 ⑩蟻 ⑪蜻蛉 ⑫蜘蛛

 小さい動物すべてが『蟲』だったため、虫ではないものもあります。

⑬蛙 ⑭蛤 ⑮蜆 ⑯蛸 ⑰蠍 ⑱蟹

   さて、いくつ読めたでしょうか。答え合わせして下さいね。

①か ②あぶ ③のみ ④かいこ ⑤ほたる ⑥はち ⑦が ⑧せみ ⑨はえ ⑩あり ⑪とんぼ ⑫くも  ⑬かえる ⑭はまぐり ⑮しじみ ⑯たこ ⑰さそり ⑱かに

いや、でも、街の印刷屋   8/22/'18

以下は真夏の夜の「与太話」です。始めにお断りしておきます。

最近、あるテレビ番組で、次のようなシーンを見かけました。(これは事実です。)
どこかの地元青年団の10数年つづいた手作りイベント(仮に〇〇としておきます)がいよいよ今年で最後となることを取り上げたコーナーで、 レポーターが青年団員にインタビューしています。

レポーター 「あなたにとって○○とはなんだったんでしょうか」
青年団員 「いや、でも、10数年続けられたということは有り難いことで、皆さんに感謝しています。」

この下りで違和感を感じたのは、レポーターの、手垢のついたようなお決まりの、おバカな質問にではなく、質問の内容が yesかnoかを尋ねるものでないにもかかわらず、いきなり否定語で答えているという点です。 答えの最初の部分を編集でカットしちゃったんでしょうか。それだと、それも問題ですね。 あるいは、レポーターの質問に対して、「私はそんなおバカな質問に答えたくありません。 しかし、それでも何か答えてほしいというのであれば」というメタ言語が「いや、でも」という対象言語になったのだ、という解釈もできるのかなあ。
ともあれ、このようなシーン、自分の周りではあまり遭遇することはないのですが、テレビ番組の中でのタレントさんの発言では、時々耳にすることがあります。
「いや」という否定語で始める話し方がクールじゃないかということで、タレントさんの間で流行っているんでしょうか。

最初にお断りしたように「与太話」ですよ、あくまで。洋画字幕の誤訳で有名(?)な某女性翻訳者(翻案家)が、yes の俗語の yeah(イヤー) を なんでもかんでもそのまま日本語の「いやー」に置き換えるという技を「発明」して、その結果、例えば

Do you like the ice cream?  ---  Yeah! I love it.

が、本来なら

アイスクリームすき?  ---  うん!大好きだよ!

となるべきところが、

アイスクリームすき?  ---  いやー、大好きだよ!

となってしまった、というのは考えすぎでしょうか。
やっぱり、俳優さんがトムクルーズなんかだと、クールなのかなあ。(オイオイ)
口の形的には、この方がアテレコしやすいのかも。(オイオイオイ!)

Don't you like the ice cream?  ---  Yeah! I love it.

ならば、「いやー、大好きだよ!」で大正解ですけどね。

某女性翻訳者(翻案家)にその罪を擦り付ける気は毛頭ありませんが、このような言い方が、クールな表現として一般に定着しつつあるのではなかろうかと、実は「心配」しています。 (「お前が心配するようなことではない。」 はい、ごもっとも。)
もちろん、話し言葉は書き言葉よりずっと速く変遷し、流行り廃りもあるのが当然で、正しいとか間違っているとか言うべきことでもないでしょう。 例えば発音の面で言えば、この頃では「何々です」(desu)の「う」(u)の音がほとんど消えてdesのように発音されるようになっているのは、NHKアナウンサーの発音を聞いていてもよくわかります。 これは、音節の最後が子音で終わることが多い英語発音の影響でしょうか。古い日本語の形が比較的よく残っている(例えば、「よう・・・せん(しない)」は一般的な古文でいう「え・・・ず」の名残だそうです) 関西では、ですぅ、と、最後の母音をはっきり発音する傾向が今でもあるようですが、それはさておき・・・

なぜ否定語で返す話し方を懸念しているか、それは、次のような理由からです。(ここで言っているのは、あくまで「否定語で返す話し方」であって、 「できない」とか「無理だ」というネガティブ表現を取り上げているのではありません、念のため。)
脳は話し言葉を時系列の情報として認識処理しています。ここが書き言葉の認識と異なるところです。書き言葉(印刷された本など)は空間情報の側面があり、読書の達人ともなると、 ページをぱっと見ただけで内容を把握できるといいます。話し言葉ではそうはいきません。時系列で入ってくる音声情報は少しずつ、コンピュータで言えばアキュムレータのような、 いわゆる短期記憶(short term memory)に蓄えられた後、順次情報処理されていくのですが、そのとき脳はフィードホワードやフィードバックといった制御処理によって 相手の言っていることを効率よく理解しようとします。
「いやー」という言葉が否定語だと脳が認識するや否や、では何が否定されたのかと、直前の発言の記憶を読み出したり、相手の意図を先読みすることで認識のフィルターを調整し、 相手の発言をより効率的に理解しようとするわけです。それなのに!、そのあと、「いや、そうです」ときたら、もう・・・
もし居酒屋のカウンターで、近くの客同士のそんな会話が耳に入った日にゃ、 「違うのかい、違わんのかい」と気になって、「♪ 一人酒場で・・・」などと気取ってる場合じゃなくなります。これはもう、副流煙の間接喫煙よりたちが悪いじゃないですか。

このあたり、ネットでよく見かける「すぐ否定語で返す人は云々」といったことにもつながっているのでしょうが、真の問題はそこではありません。日本語の曖昧さの 増加ということと、それを脳が処理することに本来必要でないはずのエネルギーが浪費されるということこそ問題なのです。
つまりこうです。脳は覚醒時には脳組織1g当たり1分間に約15mmol(ミリモル)のATP(アデノシン三リン酸)を消費しているといいます。 ATPはご存知のように、地球上の生物の体内に広く分布する物質で、生体内では、リン酸1分子が離れたり結合したりすることで、エネルギーの放出・貯蔵、 あるいは物質の代謝・合成の重要な役目を果たしており、脳細胞も当然このエネルギーによって活動しています。 細胞内環境の場合ではATPの高エネルギーリン酸結合の加水分解に伴って実際に放出されるエネルギー(自由エネルギー変化 ΔG)は、−10~11 kcal/mol と言われているので、 仮に、1350gの脳細胞のほんの1%がこの「イラっと」する事態にエネルギーを消費すると仮定すると、約0.22kcalのエネルギーが消費(浪費)されるわけです。
「僅かなもの」、ですか。では、こう考えましょう。日本の人口の内、14歳未満と75歳以上を除いた約9500万人、さらにその内の半数、4750万人が 1分間、相手のこのような言動で「イラっと」したとすると、そのために浪費されるエネルギーはおよそ10450000kcalとなります。1kcal=1.16wh とすると
約12150kwhのエネルギーが浪費されることになります。どうでしょう。街の印刷屋としては、菊全4/4色でざっと70万枚印刷に相当する電力量ということですか。ただ(無料)のエネルギーというものはありませんし。(Youtubeあたりでは、永久機関だの フリーエナジーだのという動画がわんさとUPされていますが、全て勘違いかfakeです)
「いやー」と聞いてもそれが否定なのか、単なる口癖なのか分からなくて、そのために余分なエネルギーを消費しなければならないとなると、・・・。
厳しい競争世界にあって、「曖昧な」言語を持った「エネルギーを浪費する」民族は、どうやって生き残るんでしょうか。

以上、真夏の夜の「与太話」にお付き合い頂き、ありがとうございました。

美味しい歳時記 立秋     8/8/'18

 暦の上では秋がやって来ましたが、まだまだ残暑が厳しいですね。

西瓜(すいか)切るや家に水気と色あふれ  西東三鬼

 「スイカ」は秋の季語。水分が90%以上と豊富なだけでなく、カリウム、カルシウム、マグネシウムなどのミネラルも含まれ、食塩を少しふりかけると熱中症の予防におすすめです。 糖分はあっても、食物繊維が豊富でカロリーは低く、食べ過ぎても大丈夫!

 現在の収穫量のトップは熊本県ですが、実はその元となるスイカの種は、現在8割以上が奈良県で生産されているそうです。
 山辺郡稲葉村(現天理市)の巽権治郎が、三河国(愛知県)から持ち帰って栽培をはじめた「権治スイカ」と、奈良県農業試験場が導入したアメリカ産の「アイスクリーム」との交雑から「大和スイカ」が生まれ、 奈良盆地は昭和の中頃までスイカの名産地でした。その伝統を受け継いで今も品種改良が重ねられています。

ケチャップと、街の印刷屋     8/3/'18

ケチャップは長年日本人に愛されてきた定番調味料の一つといえますね。トマト嫌いの子どもでもケチャップをうまく使うと食べてくれて、 夏バテ対策の幼児向けレシピでも重宝されています。
 さて、このケチャップ、成分的には完熟トマト、玉ねぎ、にんにく、赤唐辛子、水、酢、スパイス、塩、砂糖などの 混合物ということになりますが、瓶やプラスチックの容器に入っているときは固体のようで、逆さまにしても出てこないのに、振ったり押したりするとドロッと出てくるという性質があります。 そしてボールなどに入れてビータで攪拌してやると、さらに粘度が低くなって流れやすくなります。このような性質をもつ物質(混合物)は他にもあって、台所にあるものではマヨネーズやバターなどがそれです。
ざっくりした言い方ですが、このように最初は固体のようで、力を加えていくとどんどん液体のようになる混合物の流動体の性質を、チキソトロピー(Thixotropy)といいます。
 これとは反対に、最初は液体のようですが、力を加えるとだんだん硬くなって固体のようになり、 力を抜くと元の液体に戻るものもあり、これをダイラタンシー(Dilatncy)といいます。水と片栗粉をある割合で混ぜることでダイラタンシーを体験できます。 「白衣を着た人」が白い液体の入った大きな水槽の上を足をバタバタさせて歩いてみせるというシーンをテレビ番組で見た方もおられるのではないでしょうか。
 水など純物質の液体は力と変形の関係が比例していてニュートン流体と言われるのに対して、これら混合物の流体で力と変形が比例しない、 グラフを描くと原点を通る直線にならなかったり、曲線になったりするものを非ニュートン流体といい、 レオロジーという流体に関する学問の対象の一部となっています。

 チキソトロピーは可逆的なものが多く、力をかけずにそっとしておくと元の固さにもどります。顔料とビヒクル(vehicle)の混合物であるオフセット印刷のインキもこのようなチキソトロピーの性質を持っていて、 このことは、インキがインキツボから多くのローラを経て刷り版からブランケットへと移り、最終、紙の上に印刷物として固定され、「印刷がうまくいったー!」となることと深い関連があります。
 もちろん、印刷の現場で、当節の災害レベルともいわれる猛暑で冷房の効きも悪い中を、長年蓄積された経験と知識をフル稼働して4C機を回しているオペレータ大先生にしてみれば、 「チキソもダイラも知ったことか」、ってなことでしょうが、要は一方にはそのような現場での努力に基づいた技術の蓄積と伝承があり、一方では強い探求心からの学問的研究もなされている、というところが、 日本の国の技術の強みであり凄いところですよね、偉そうに言えば。

そんなことより、ケチャップを使ったプレーリーオイスターというカクテル、二日酔いに効くそうです。試してみるとしましょうか。

美味しい歳時記 晩夏     7/31/'18

 夏真っ盛り、記録的な猛暑が続いています。体調管理には、じゅうぶん気をつけないといけませんね。

  一さじのアイスクリムや蘇(よみがえ)る   正岡子規

 「アイスクリーム」は夏の季語、子規は明治32年(1899)8月、弟子の高浜虚子宅で、西洋料理とともに御馳走になったようです。噂の美味は当時としては贅沢で、その感激を礼状に書き送りました。
 ちなみに、日本人ではじめてアイスクリームを口にしたのは、1860年に咸臨丸で渡米した福澤諭吉ら遣米使節団であるとされています。
横浜の馬車道通りで、「あいすくりん」という名で販売されたのが、明治2年(1869)。値段は現在の価格に換算すると約8000円、初めは外国人にしか売れなかったとか。

 外国からの賓客をもてなす鹿鳴館の晩餐会でもデザートに出されたアイスクリーム。ガラスの器に銀のスプーン、ゆったり優雅な気分で味わってみてはいかがでしょうか。

美味しい歳時記 盛夏     7/16/'18

炎暑の候、太陽がまぶしく、本格的な夏がやって来ました。「暑い、暑い」と口にすると、なおのこと暑くなるような気がしますね。

   ざぶざぶと 素麺(そうめん)さます 小桶(こおけ)かな   村上鬼城

 細くてツルツルとしたと喉ごし、冷たくてさっぱりとした口あたりの「そうめん」は、涼しさを感じる夏の風物詩です。
そのルーツは、遣唐使が伝えた索餅(さくへい)という紐状の菓子でした。平安時代の宮中行事や作法を記した『延喜式』によると、五節句の一つである七夕の儀式に、 この索餅が供えられていました。
江戸時代には、七夕の季節に細く長いそうめんを糸に見立てて、裁縫の上達を祈って御供えする風習が広まったそうです。

薬味のアレンジはもちろん、中華風、エスニック、イタリア風…、アイデアレシピで具材たっぷりの御馳そうめんをいただいて、夏を乗り切りましょう。

カマキリと、街の印刷屋  7/12/'18

梅雨明けの頃には、まだまだ小さかったカマキリの子虫たちも、この頃ではすっかり大きくなって、子虫といえどもその「ハンパない」存在感で、 目につくことも多くなりました。バラの葉に片手でぶら下がるカマキリの子ムシを見て、「可愛いぃいー」と思うか、「絶対ダメえ゛ー」と思うかは、人それぞれ、というものでしょうが、カマキリにはもともと、 特に西欧では、賢い生き物というイメージがあったそうで、日本でも祈り虫とか拝み虫と呼ばれていたといいますから、人々はこの虫の上半身を起こし鎌をたたんだ姿に、 なにか敬虔なものを感じていたのでしょう。しかし、例のファーブルの「昆虫記」のお陰といいますか、今では彼ら(彼女ら)にはどちらかというと悪役感が定着してしまったようですね。 捕食する昆虫を調べてみると、カマキリは「ほぼ」益虫と考えていいらしいのですが、その捕食者としてのイメージが強烈すぎるんでしょうか。

カマキリといえば、京都の祇園祭で巡行する山鉾にも屋根の上にカマキリの「からくり」が乗っかった「蟷螂山」というものがありますね。いくつもの山や鉾が巡行するこの祭り、これらのいわゆる「山車」の姿形がそっくりなものがあるということで そのルーツを遠くネパールやインドとする説もあるようです。
ところでご存知のように、山車と神輿との違いは、神輿はかつぎ棒が付いていて人がかつぐもの、山車は台車を人が引き綱を引っ張るもの、ということの他に、
神輿は神様が乗るものであるのに対して、山車は人が乗って太鼓をたたいたり踊ったりして神様のお供や先導をするものだということがあります。 このことからも、祇園祭がもともと怨霊を鎮める神社の祭礼であったのが、のちに祭りを支える「地域の人々のお祭り(フェスティバル、またはイベント)」の側面をも持つようになったことがうかがえます。

この時期、日本各地でそれぞれの特色を持った祇園祭が開かれていますが、7月13日、14日は、いよいよ当、街の印刷屋の位置する 櫟本町の和爾下神社祇園祭です。毎年13日の宵祭と14日の本祭には、櫟本小学校における灯火会や、高品、瓦釜、膳史、四之坪、市場の5大字からの子供みこし 奉納、演芸大会など多彩な行事があり、また、近くを流れる高瀬川沿いの参道には沢山の露店が出て、夜空に花火も打ち上げられるなど、賑やかなお祭りとなっています。

「地域の人々のお祭り」という例にもれず、当、櫟本祇園祭に向けての地域の各方面の皆様方のご苦労も大変なものがあります。 その甲斐あって、天候にも恵まれ、一層多くのひとびとで賑うお祭りとなっていくことを祈ります。

Eスポと、街の印刷屋 2018年7月2日


 先日(6月27日)、10時20分ころ車でFMを聞いていると、89.4MHzの放送に「プチプチ、シャリシャリ」という音が被ってきました。 あ、これは?と思い、駐車場に着いたとき、周波数を探ってみると、88.5MHzで聞こえるはずのない中国語の放送が結構強烈に入感してきました。 スポラディックE層、通称Eスポという電離層の影響で普段は聞こえるはずのない遠方のFM局が入ったということですね。
 Eスポの原因としては、地殻変動から地震が起きるとき放射される電磁エネルギーが原因という説もあり(実証はされていませんが)、日本の梅雨の前後、中国の一定の地方では大雨、洪水の季節だそうで、 やたら大きなダムを多造した中国で、大地のひずみが大変なことになっていないといいのですがね。
 で、かかっていた曲があまりにはっきり聞こえたので、「物は試し」のノリでスマホのSiriに曲名を尋ねてみると、即「この曲が聞こえました」と、赵传の「我是一只小小鸟」を表示してきたのには、いささか驚きました。このあたり、昨今のAppleと中国の関係によるのかなと、変に関心したりして・・。 まあ、歌は歌なので調べてみると台湾出身の俳優で1986年に第一回台湾熱門合唱団コンクールでグランプリを獲得した、趙傳(チャオ・チュアン)が唄っている 「我是一隻小小鳥」(ウォーシーイージーシャオシャオニャオ)という曲(作詞作曲は李宗盛)ということが分かりました。「時々私は自分のことをまるでちっちゃな小鳥みたいだと思う。飛びたいのにどうやっても高くは飛べない」というような 内容らしいです。(蛇足ながら、DAMのカラオケにも入ってました。)

 そんなことはさておき、小鳥ではないですがこれまた先日、当、街の印刷屋の東側に続く田んぼにカルガモをみかけました。 写真では三羽しか写っておりませんが、土手の向こうから「ピヨピヨ」と鳴き声が聞こえたので、カルガモ母さんの子育てでしょうか。 カルガモの生息は生物多様性の指標の一つと考えられているようですね。子沢山のカルガモですが、それだけに外敵の脅威も大きく、生き残りへの戦いも大変でしょう。
 ちなみに、写真奥、田んぼのずっと向こう側に写っているのは、積水化成品工業の天理工場です。積水化成品工業さんは、平成30年3月1日から6月15日までの期間、 国連生物多様性の10年「グリーンウェイブ2018」への参加と協力が環境省、農林水産省、国土交通省及び国連生物多様性の10年日本委員会(UNDB-J)より 呼びかけられているのを受けて、「グリーンウェイブオフィシャル・パートナー」に任命され、先日も地元の櫟本幼稚園にヒマワリの苗56鉢を寄贈されました

 このような有益な活動が各地でなされている一方で、天災、人災、なにかと心痛む出来事も多い昨今です。
天地(あめつち)の巡りも人々の心も穏やかでありますようにと、祈らずにはいられません。

ちょっといい漢字⁉ 『雨』

 『雨』という漢字は、自然の形や様子をかたどって生まれた「象形文字」です。
   紀元前100年ごろの古代中国の『説文解字』は、漢字の意味と成り立ちを研究した書物ですが、それによると、『雨』は水が雲から落ちてくるという意味で、 「一」の部分は天を表し、「冂」は雲をかたどっている、と書かれています。4つの点点は雨のつぶですね。
 「梅雨」と書いて「つゆ、ばいう」と読みますが、
①「梅」の実が熟す頃に降り続く雨だから、
② 雨でカビが生えやすい時期なので 「黴雨(ばいう)」だったのを音の同じ「梅雨」にした、
という2説があるようです。
 「つゆ」と呼ばれるようになったのは江戸時代からで、木々の葉に置く「露」からの連想であるという説が有力です。

 「五月雨(さみだれ)」も旧暦の5月、今の暦では6月に、何日もしとしとと降り続く雨、つまり「梅雨」のことを言います。

とかく嫌われ者の「雨」ですが、雨景色の風情を味わうお出かけも素敵ですよね。

赤い鳥と、街の印刷屋

北原白秋が大正七年に発表した童謡「赤い鳥小鳥」(作曲は成田為三)をお聴きになったことがありますか。
「赤い小鳥が赤いのは、赤い実を食べたからだ」という内容で、その単純明快な発想が子供らしくて素晴らしいというのが、 一般的な評価のようですね。また、物事の因果関係を「食べる」という動作を通して考えるところが子供らしいという解釈や、赤、白、青の順に鳥が出てくるという点を捉えて、白秋の 私生活も踏まえた深層心理学的(?)解析をしている研究もあるようです。あるいはまた、赤い実を食べたから赤くなったという表現に「因果応報」の 恐ろしさを感じ取る向きもあるようで、そうなると、無邪気な童謡と言うにはちょっと重すぎるということでしょうか。
それにしても、「赤い実を食べたから赤くなったなんて、そんなバカなことはない」という時代的常識があればこそ、その逆に
「赤い実をたべたから赤くなったとは、単純明快で子供らしい素晴らしい発想だ」という評価が存在しうるのであって、
「フラミンゴが赤いのは好物の藻類に含まれている色素のせいである」ことが明らかになっている現代であれば、「赤い実を食べたから赤い」が それほど単純明快でもなければ子供らしい発想だとも言えなくなってきているのではないでしょうか。まさに歌の価値は時代と共にあり、ですかね。

さて、「この赤い鳥を同じ色で印刷してくれ」と言われて、色見本として渡されたのがカラープリンターで印刷したものだったら、街の印刷屋のオペレータ大先生も苦労するでしょうね。
赤いインキが赤いのは顔料の光学的特性によるものではあるのですが、印刷物の「赤い鳥」が求められる色に刷り上がるにはその他にも紙の表面の性質やら調色台の光源の波長分布やら、 ミクロ的にはインキに掛かる圧や、インキの盛り方、等々、絡み合った複数の要素がクリアされていなければなりなせん。さらに、日本人はもともと赤い色の違いには敏感なようで、伝統的日本色の 赤系統には、赤、朱、緋、紅、纁(そひ)、赭(そほ)、等々、ざっと数十種類の色があります。違いには厳しいでしょう。まして、クライアントの方が赤い色にかかわる仕事、 日々、顕微鏡で赤い点々を見るような仕事をしているとか、いえいえ、そういう仕事があるとか、そういう方がおられたとか言ってるんじゃありません。例えばの話です。色は同じに見えて初めて同じと 言えるわけですからね。そうなると街の印刷屋の仕事は、最終的には心理戦の様相を呈してくるのかな。
ともあれ、「合うわけない」とボヤキながらも、最後には力業で合わせてくるオペレータ大先生、その数十年のキャリアには感服いたします。

美味しい歳時記 仲夏

長雨の候 雲におおわれるぐずついたお天気が続いています。梅雨の晴れ間には太陽のありがたみがしみじみ感じられますね。

匙(さじ)なめて童(わらべ)たのしも夏氷  山口誓子

 子ども達がスプーンでかき氷を食べています。冷たさとおいしさを味わっている嬉しそうな情景が浮かびます。

 日本で最初のかき氷は、「削り氷(けずりひ)」という言葉で、平安時代、清少納言の『枕草子』に出てきます。
冬に池で自然にはった氷を氷室(ひむろ)に保存しておき、夏に取り出し、刀で削って甘い蔦(つた)の汁をかけて食べたようです。
 氷の神様を祀る奈良の氷室神社では、数年前から素材や作り方にこだわって趣向を凝らしたかき氷屋さんが集まる「ひむろしらゆき祭」が開催されています。 ガイドブック片手に〝かき氷の聖地〟奈良の夏を楽しんでみてはいかがでしょうか。

鬼のパンツと、街の印刷屋

イタリア歌曲「フニクリ フニクラ」をベースとした子供向けのコミックソング、「鬼のパンツ」は、手遊び唄としても知られていますね。 その歌詞に
「五年はいても破れない」「十年はいても破れない」という一節があります。もしそんなに丈夫なパンツだと、小さくなったとか、時代遅れのデザインになったとかいっても、「捨てづらいなぁ」と、 鬼のお母さんは困ってしまうかもしれませんね。 「トラの毛皮で出来ている」ということなので、高価なものだったでしょうしね。

 さて、パンツに限らず、モノには耐用年数というものがあります。唐突ですが、電車の耐用年数はどれくらいのものか、ご存知でしょうか。
 税法上の電車の減価償却期間は、13年(電気機関車と蒸気機関車が18年、ディーゼル機関車やディーゼルカーが11年、等)と決められています。 しかし実際の鉄道車両はもっと長持ちするように作られていて、在来線の車両だと30年はもつと言われています。
さらに、「延命工事」を行って寿命を延ばすという手もあり、JR西日本では国鉄からの継承車両に延命工事を施して40年くらい使っていたといいます。

一方、JR東日本の209系電車などは「重量半分、コスト半分、寿命半分」という、いわゆる短寿命設計の思想で、新製から十数年で廃車されているそうです。 寿命半分と聞くと、何だか使い捨て思想のように考える向きもあるかもしれませんが、信号設備や車両管理に於けるIT技術の進化への対応や、廃車にするときのリサイクルの容易さも考えて 車両の物理的な寿命よりも短いサイクルで新型車両を投入し、省エネ、コスト削減を図っているということらしいです。

 で、「十年はいても破れない」鬼のパンツなんですが、トラの毛皮で出来ているため、さぞかしメンテナンスが大変でしょうね。リアルファーですからね。陰干し、ブラッシング、クリーニング、etc. その上メンテナンス中に桃太郎に攻め込まれた日には、・・・なんて考えたりして。
 メンテナンスが大変といえば、減価償却期間が10年となっているオフセット印刷機、これのメンテナンスも大変であり、大切でもあります。そのおかげで、街の印刷屋も品質のいい印刷物が提供できるわけですから。 印刷機というものは機械類の中でも、迫力もあり緻密さもあり、ほんとに惚れ惚れする設計です。 ですが、特定の部品がよく壊れるというオペレータ大先生泣かせの事実、これはいったいどういう設計思想なのか、それについては分かりません・・・。 毎度の駄文、失礼いたしました。

美味しい歳時記 初夏

向暑のみぎり 山々の緑も濃くなり、陽ざしに夏を感じる季節となりました。

蕗(ふき)の葉を傘にさしたる蛙(かえる)哉(かな)  正岡子規

 雪解けとともに顔を出す「蕗の薹(とう)」は春の季語ですが、大きな丸い葉がカエルの傘のように思われる「蕗の葉」や、香りと苦みがおいしい佃煮「きゃらぶき」は夏の季語です。

 ♪ これっくらいの お弁当箱に
  おにぎり おにぎり ちょいと詰めて
  きざみ生姜に ごま塩ふって
  にんじんさん さくらんぼさん
  しいたけさん ごぼうさん
  あなのあいた れんこんさん
  すじの通った ふーき

 童謡の歌詞でも、蕗の緑色は、お弁当に彩りを添えていますね。旬のものは美味しいだけでなく、栄養も豊富。新緑を思わせる、やわらかな緑色は、自然の恵みを頂いていることを切実に感じさせてくれます。

美味しい歳時記 晩春

新緑の候 木々の若葉がまぶしく、風薫るさわやかな季節となりました。

折々は腰たたきつつ摘む茶かな  小林一茶


 〽夏も近づく八十八夜
   野にも山にも若葉が茂る
   あれに見えるは茶摘じゃないか
   茜襷(あかねだすき)に菅(すげ)の笠


 「八十八夜」は、立春から数えて八十八日め、今年は五月二日です。歳時記では、「茶摘み」とともに春の季語、「新茶」は夏の季語だそうです。
 一番茶の新茶は、新芽に含まれるテアニンという旨味成分が豊富で、特に美味しいと言われています。新茶のさわやかな香りも魅力ですね。
 一番よく飲まれている煎茶は、煎茶・玉露・番茶・抹茶・焙じ茶などとともに、生の茶葉を発酵させずに製造した不発酵の緑茶です。茶葉は緑色のままで、 タンニンという日本人好みの渋味成分が多く残っています。
 最近はパフェやアイス、パンにケーキ、様々な抹茶スーツも大人気ですよね。

浜の母ちゃんと、街の印刷屋

今や紅白歌手の一人となった東北出身の歌手、福田こうへいさん。彼の歌に「母ちゃんの浜唄」という曲があります。そのサビの部分に
「小イワシはいらんかね、七日経ったら鯛になるよ」という下りがあるんです。
面白い歌詞ですね。福田さん自身もライブの時に「普通、七日経ったら、腐るでしょう」などと冗談を言ってたそうですが、 何か元になることわざでもあるのでは、と気になって調べてみました。すると 、「七日経ったら」ではなかったですが、 瀬戸内産のイワシが美味しい広島あたりでは、
「鰯七度洗えば鯛の味」
という言い方があることを知りました。鰯には独特の臭みがありますが、これは脂に由来するもので、それを真水でよく洗い落すと、高級魚の鯛にも劣らないほど美味しくなる、ということだとか。
蛇足ながら、仮に一回洗うたびに脂が10分の1になるとすれば、7回で1000万分の1、これはもう日常的にはゼロといえるレベルですね。まあ、一度洗って10分の1という仮定が妥当かどうかはさておき、 無秩序に投げ捨てられた鰯を拾って指で捌き、きれいにならべて売るという、エントロピーの増加に逆らう作業に「母ちゃん」が投入したエネルギーが商いの元となり、巡り巡っては子育てに繋がったわけで、 めでたしめでたし・・・
なんて言い方をしては、歌の感動もあったもんじゃないですが、ドロドロのインキを文字や画像という形に置き換え情報を提供するという、エネルギーの変換をして商いとする 「街の印刷屋」も、熱力学的には浜の母ちゃんと同じことをやってるんだ、と言えなくもないでしょう?
何はともあれ、あと一月もすれば小イワシの旬ですね。そのころ広島料理専門店で小イワシの刺身を頂く、 ってな贅沢・・・してみたいものですねー。

歳時記かわらばん 仲春

春暖の候 うららかな陽ざしに春の訪れが感じられる良い季節となりました。

草餅や片手は犬を撫でながら   小林一茶

 片手で草餅を食べながら、もう一方の手で犬を優しくなでている。あたたかな眼差しを持った、一茶らしい心がほっこりする光景が思い浮かびますね。
 よもぎの色と香りが味わえる草餅は、春の季語です。お茶席の主菓子のように雅やかではありませんが、丸い形と素朴さが草餅の魅力でしょうか。
 春の恵みをいただくために、よもぎを摘んでゆで、きざんで餅米と一緒について、形よく丸める。かつてはそれぞれの家庭で、家族の笑顔を思いながら、手間ひまかけて心を込めて作られたものです。
 そんな郷愁や作り手の心づかいも感じながら、優しい気持ちで草餅をいただくことにしましょう。

ちょっといい漢字⁉ 『金』

 日本は金4、銀5、銅4と冬季としては過去最高のメダル獲得数で平昌オリンピックが終わりました。みなさんは、どの競技、どの選手が一番印象に残っているでしょうか?
ゴールドは貴重なので、『金』は「金銭」「賞金」などのように通貨の意味がありますが、「金言(きんげん)」のように貴い、立派なものを指したりもするそうです。
 「キン」という響きには輝かしいイメージがあるのに、「かね」と読むとあまり語感が良くないのはなぜでしょうね。金メダルを目指して…は素晴らしい目標ですが、金(かね)が目当てとなると、どうもいただけません。
 『金』は、「今」と「土」と「点点」を組み合わせて出来た漢字です。「キン」「コン」と音(おん)読みするのは「今」が含まれているからです。 「今」は、何かを上から押さえている様子を表していて、『金』は、「土」の中に含まれた「点点」、つまり砂金を表したものだと言われています。
 しばらくは平昌の余韻を楽しみつつ、2020東京オリンピックがますます楽しみですね。

休暇あけ

明けましておめでとうございます。

 新年早々でなんですが、機械にも生身の人間にもそのトラブルには、休暇が足りないことによるものと、休暇が長すぎることによるものの二種類があるようで・・・。
 御多分に漏れず、と言いますか、当社の4C機にも年明け早々、軽微な?トラブル発生とオペレータ大先生が嘆いておりました。年末年始の休暇で冷え切った圧胴は 他の部分と違って多少の運転ではそう簡単に温度は上がってこないそうで、運転を続けると、他の部分との温度差がまた問題になってくるのでしょうか。予熱装置があったり、誘導型発熱装置みたいなローラだといいんでしょうか。
 機械と違って、生身の人間の(圧)胴の予熱は簡単な話です。ちょっとばかり、 R-OH をくれてやれば、すぐ温度は上がります。しかしこれも又やり過ぎには要注意というわけで、 当方、胴の周長が少しばかり長くなり過ぎたというトラブルに苦慮している今日この頃です。
年明け早々の駄文、失礼いたしました。

本年も何卒宜しくお願い申し上げます。

歳時記かわらばん 仲冬

 寒冷の候 師走の声とともに寒さもいよいよ増してまいりました。温かい夕餉が一日の疲れを癒してくれますよね。

大根(だいこ)ひき大根で道を教えけり  小林一茶
 
 道をたずねると、「あっちですよ」と引き抜いた大根で教えてくれた。ほのぼのとした情景が思い浮かび、心がほっこり温かくなりますね。

大根は一年じゅう出回っていますが、霜の降りる秋から冬が旬で、俳句では冬の季語です。  よく見かけるのは青首大根ですが、桜島、練馬、聖護院、守口…、産地によってかなり種類があるようです。炊いておかずにしたり、おろして辛味に用いたり、干して漬物にしたり、やはりこの季節、一番庶民的なのはおでんでしょうか。  コンビニでも温かくて美味しいおでんが買える昨今ですが、たまにはひと手間かけて、米のとぎ汁で辛みが取れるまで下ゆでして、熱々のふろふき大根、柚子みそでいかがでしょうか。

用語とその意味

人と話をするとき、お互いの使っている同じ「用語」が同じ「概念」を表しているのでなければ、議論が妙な方向にいってしまうことがありますね。例えば「オフセット印刷とオンデマンド印刷のメリット、ディメリット」 というような対比の構造で述べられている場合、「オフセット印刷」とか「オンデマンド印刷」という用語の意味になにが起こっているのでしょうか。「オフセット印刷は製版が必要だが、オンデマンド印刷では製版の必要がない」 と言われると、「それはその通りなんだけどぉ、・・ん???」という感覚を抱いてしまうことも否定できません。個々の事実は正しいのですが、そういう対比をする論理構造って、何なんだろう??ということです。 何故なら、オンデマンド(on demand)とは、必要に応じて、とか、要求のあり次第、というような意味で、簡単に言ってしまえば「注文対応」ということですよね。印刷物で注文対応でないもの?、エーっと、それは新聞だったり その中に折り込まれているチラシだったり、するのでしょうか。(もっともこれは、demand側が新聞読者で、supply側が新聞社という構造での話ですが。その場合、新聞「紙」の契約はしているけれど、こんな内容の記事を注文した覚えはない、というような新聞もあったり、なかったり・・・) 余談はさておき、大抵の場合、印刷は注文生産で、それはまさしく「オンデマンド」ではないでしょうか。「注文」に対して結果としての印刷物が素早くできるかどうか、ということがポイントなんだ、ということなら、 オフセット印刷も注文にすぐ対応出来るのであれば、「オンデマンド印刷」だと言えます。
(ところで、「オンデマンド印刷」」はデジタル入稿なので製版の必要がない、云々は、確かにその通りなんですが、オフセット印刷などの刷版のもととなる完全版下に相当するデジタルデータはちゃんと作らねばならないことには違いがありません。 それを誰が作るかは別として・・・)
そもそも、「オンデマンド」の「デマンド」は何を想定しているのでしょうか。印刷物を手に入れることがdemandなのか。あるいはリリースまで含めてのdemandなのか。それが問題ですよね。 もしリリースまで含めてのデマンドだとすると、オンデマンド印刷の「印刷」の部分に対する雲行きがなんだか怪しげなことになってきそうで、そうなると、この駄文もsmall talkの領域をはみ出してしまいそうなので、この話はここまで。