いや、でも、街の印刷屋 8/22/'18
以下は真夏の夜の「与太話」です。始めにお断りしておきます。
最近、あるテレビ番組で、次のようなシーンを見かけました。(これは事実です。)
どこかの地元青年団の10数年つづいた手作りイベント(仮に〇〇としておきます)がいよいよ今年で最後となることを取り上げたコーナーで、
レポーターが青年団員にインタビューしています。
レポーター 「あなたにとって○○とはなんだったんでしょうか」
青年団員 「いや、でも、10数年続けられたということは有り難いことで、皆さんに感謝しています。」
この下りで違和感を感じたのは、レポーターの、手垢のついたようなお決まりの、おバカな質問にではなく、質問の内容が
yesかnoかを尋ねるものでないにもかかわらず、いきなり否定語で答えているという点です。
答えの最初の部分を編集でカットしちゃったんでしょうか。それだと、それも問題ですね。
あるいは、レポーターの質問に対して、「私はそんなおバカな質問に答えたくありません。
しかし、それでも何か答えてほしいというのであれば」というメタ言語が「いや、でも」という対象言語になったのだ、という解釈もできるのかなあ。
ともあれ、このようなシーン、自分の周りではあまり遭遇することはないのですが、テレビ番組の中でのタレントさんの発言では、時々耳にすることがあります。
「いや」という否定語で始める話し方がクールじゃないかということで、タレントさんの間で流行っているんでしょうか。
最初にお断りしたように「与太話」ですよ、あくまで。洋画字幕の誤訳で有名(?)な某女性翻訳者(翻案家)が、yes の俗語の yeah(イヤー) を
なんでもかんでもそのまま日本語の「いやー」に置き換えるという技を「発明」して、その結果、例えば
Do you like the ice cream? --- Yeah! I love it.
が、本来なら
アイスクリームすき? --- うん!大好きだよ!
となるべきところが、
アイスクリームすき? --- いやー、大好きだよ!
となってしまった、というのは考えすぎでしょうか。
やっぱり、俳優さんがトムクルーズなんかだと、クールなのかなあ。(オイオイ)
口の形的には、この方がアテレコしやすいのかも。(オイオイオイ!)
Don't you like the ice cream? --- Yeah! I love it.
ならば、「いやー、大好きだよ!」で大正解ですけどね。
某女性翻訳者(翻案家)にその罪を擦り付ける気は毛頭ありませんが、このような言い方が、クールな表現として一般に定着しつつあるのではなかろうかと、実は「心配」しています。
(「お前が心配するようなことではない。」 はい、ごもっとも。)
もちろん、話し言葉は書き言葉よりずっと速く変遷し、流行り廃りもあるのが当然で、正しいとか間違っているとか言うべきことでもないでしょう。
例えば発音の面で言えば、この頃では「何々です」(desu)の「う」(u)の音がほとんど消えてdesのように発音されるようになっているのは、NHKアナウンサーの発音を聞いていてもよくわかります。
これは、音節の最後が子音で終わることが多い英語発音の影響でしょうか。古い日本語の形が比較的よく残っている(例えば、「よう・・・せん(しない)」は一般的な古文でいう「え・・・ず」の名残だそうです)
関西では、ですぅ、と、最後の母音をはっきり発音する傾向が今でもあるようですが、それはさておき・・・
なぜ否定語で返す話し方を懸念しているか、それは、次のような理由からです。(ここで言っているのは、あくまで「否定語で返す話し方」であって、
「できない」とか「無理だ」というネガティブ表現を取り上げているのではありません、念のため。)
脳は話し言葉を時系列の情報として認識処理しています。ここが書き言葉の認識と異なるところです。書き言葉(印刷された本など)は空間情報の側面があり、読書の達人ともなると、
ページをぱっと見ただけで内容を把握できるといいます。話し言葉ではそうはいきません。時系列で入ってくる音声情報は少しずつ、コンピュータで言えばアキュムレータのような、
いわゆる短期記憶(short term memory)に蓄えられた後、順次情報処理されていくのですが、そのとき脳はフィードホワードやフィードバックといった制御処理によって
相手の言っていることを効率よく理解しようとします。
「いやー」という言葉が否定語だと脳が認識するや否や、では何が否定されたのかと、直前の発言の記憶を読み出したり、相手の意図を先読みすることで認識のフィルターを調整し、
相手の発言をより効率的に理解しようとするわけです。それなのに!、そのあと、「いや、そうです」ときたら、もう・・・
もし居酒屋のカウンターで、近くの客同士のそんな会話が耳に入った日にゃ、
「違うのかい、違わんのかい」と気になって、「♪ 一人酒場で・・・」などと気取ってる場合じゃなくなります。これはもう、副流煙の間接喫煙よりたちが悪いじゃないですか。
このあたり、ネットでよく見かける「すぐ否定語で返す人は云々」といったことにもつながっているのでしょうが、真の問題はそこではありません。日本語の曖昧さの
増加ということと、それを脳が処理することに本来必要でないはずのエネルギーが浪費されるということこそ問題なのです。
つまりこうです。脳は覚醒時には脳組織1g当たり1分間に約15mmol(ミリモル)のATP(アデノシン三リン酸)を消費しているといいます。
ATPはご存知のように、地球上の生物の体内に広く分布する物質で、生体内では、リン酸1分子が離れたり結合したりすることで、エネルギーの放出・貯蔵、
あるいは物質の代謝・合成の重要な役目を果たしており、脳細胞も当然このエネルギーによって活動しています。
細胞内環境の場合ではATPの高エネルギーリン酸結合の加水分解に伴って実際に放出されるエネルギー(自由エネルギー変化 ΔG)は、−10~11 kcal/mol と言われているので、
仮に、1350gの脳細胞のほんの1%がこの「イラっと」する事態にエネルギーを消費すると仮定すると、約0.22kcalのエネルギーが消費(浪費)されるわけです。
「僅かなもの」、ですか。では、こう考えましょう。日本の人口の内、14歳未満と75歳以上を除いた約9500万人、さらにその内の半数、4750万人が
1分間、相手のこのような言動で「イラっと」したとすると、そのために浪費されるエネルギーはおよそ10450000kcalとなります。1kcal=1.16wh とすると
約12150kwhのエネルギーが浪費されることになります。どうでしょう。街の印刷屋としては、菊全4/4色でざっと70万枚印刷に相当する電力量ということですか。ただ(無料)のエネルギーというものはありませんし。(Youtubeあたりでは、永久機関だの
フリーエナジーだのという動画がわんさとUPされていますが、全て勘違いかfakeです)
「いやー」と聞いてもそれが否定なのか、単なる口癖なのか分からなくて、そのために余分なエネルギーを消費しなければならないとなると、・・・。
厳しい競争世界にあって、「曖昧な」言語を持った「エネルギーを浪費する」民族は、どうやって生き残るんでしょうか。
以上、真夏の夜の「与太話」にお付き合い頂き、ありがとうございました。